プロ中のプロになる

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ビジネス・マーケティング
この話は以前、プロにならなくてもいい、という話を書いたのですがそれと矛盾します(笑)


つまり、人は矛盾していて、自分もそうで、色々と変化していると。ただ、その矛盾している中でも、共通点がないときついので、流石にそこは見出した上で書いています。

といいつつも、自分が参考になるところを学べばいいので、
・プロにならないのが正解
・プロ中のプロになるのが正解
でもないわけです。
・プロにならないのが不正解
・プロ中にのプロになるのが不正解
でもないわけです(笑)

なので、あくまでその話がある時どう動いてどう学ぶかだけなので、あくまでこれらは話のネタというところになるなと。聞き手、読み手がどう理解できるかを置いてけぼりにするときついですが、ある程度読めていればまあそう着地するのかなと。

ではいってみましょう。

プロにならなくてもいい真意とは

前書いたとおりですが、トッププロになれる人なんて限られます。多くはそうではない。肌感でも98%くらいは普通の人です。僕もです。

じゃあ普通の人だから希望も何もないかというと、それはおかしいわけです。自分なりにやって生きて楽しんでいる、幸せである。そういう感覚がまさにある。哲学ですね(笑)でもそういう身体的な感覚を得ていないといつまで経っても、あこがれを追って見えない感じで終わると。良い風にはまればいいですけどね。

プロにならなくてもいいとは、多くの人はトッププロではないという事実です。そしてトッププロの事実はすごいですが、そのプロが幸せであるかは別で、評価というのは常に変わるんですね。だからプロになれば幸せなんていう考えが一番危ういと思うんですね。

ならなくてもいいはやや盛ってます(笑)ですが、正確には「プロ」に「なれなくてもいい」かなと思います。プロでなければ生きてダメとか、食べられないわけでもないと。

で、ここで疑問が生じます。プロになるとか、食べられるって何なのか?と。

プロ中のプロでないと生きられない

今回はプロ中のプロです(笑)これは要するに「平凡なプロ」を目指すのでなく、「プロ中のプロ」を目指そうって話です。

ここでいうプロ中のプロは、当然トッププロではないです。そういうイメージを持つ人もいるかもしませんが、上と矛盾してないのは、多くの人は98%は普通の人だからです。

そこでそのままプロになれる人もいないですが、プロを並べれば普通のプロから色々なプロがいる。それでプロなのかという人もいればってことですよね。だからピンキリだと。これはどんな世界もそうでしょう。

次に食べられる、生計を立てられる、食えるレベルって何かというと、それとは全く別問題です。別というとパフォーマンスと関係ないということになるので、言い過ぎなんですが、実際に人気があれば生きていけるのであれば、プロのパフォーマンスで何得点サッカーでゴールを入れたかは関係がないわけです。これをもって、人気があれば得点を入れなくてもいい、というのは乱暴です。ただこういう乱暴な言い方がまかり通るというか、プロだからとか、というのも同じロジックなんですよね。当然サッカーなら、デフェンスはもちろん、ゴールキーパーって得点入れづらいですよね(笑)

ここで示すプロ中のプロとは、プロという中に入っていった時に極めるとか、そこを譲らないとか、ある種の矜持みたいなことを示します。

僕が参考になるか、プロ中のプロかはおいておいて、やはりアイデアにこだわると思われるかもしれませんが、アイデアよりもアイデアを出す行為にこだわるのが正確です。アイデアがないなら不幸ではないか、あるほうが幸せではないか。そんな独自の理論です(笑)説明とかでなく直観でそう思ってるんですね。これも僕はプロだと思っています。ある程度考えて実践しないと、そうならないからというのもあるし、そういうこだわりがないと、平凡な、普通のプロになるからです。

平凡なプロは滅びろとか(笑)そういうことはいってないです。平凡化したりどこにでもいるプロなら僕は嫌だなと。それだけです。だからそうならないようにすると。

と偉そうに言っていても、自分が思い込んでいても「俺はプロ中のプロだ!」と(笑)でもですね、評価自体は人がしますから。そこは冷静に捉えましょう。僕が吠えてもサムイ人間だとなるのか、それともそこそこアツイ人間となるかは、本当にやってみてどうか、人次第=お客さん次第って感じです。当然評価してもらう人が外野だとそれは野次なので適当にスルーはしたほうがいいですね。

こだわりは生きる楽しさと、覚えてもらう意味で二重の意味で大事

職人みたいにこだわってやる。は美徳とされがちです。ですがそういう意味でなくて、僕は2つの意味で大事だと考えています。

1つはこだわることで、楽しいというか、幸せなんですね。勝手にこだわるというか。気にならないんですね、色々時間やお金がかかっても。でもこれ商売的には良くないので限度を持ちましょうって感じもあります。ずっとそれをやっていって滅びるのは自分(笑)とか悲しいですからね。また同情をそれで買うのもまた違うじゃないですか。

だから、やってて楽しいモードというところに入っていく、ある種フローであるということですね。そうやって集中モードでオラオラと楽しいことになる。幸せだなあーと思うし言ってみるし、楽しいなあと思っているし、感じている。

そういうのってこだわりがないからだめというか、こだわりが生まれるし同時に幸せだなと感じられるからです。

こだわってオラオラやる人の、そういう人の熱いサービスとかものを僕は買いたいし、そういう人から買おうとしています。それだけです。そういう循環を馬鹿にする人もいそうですが、そうやって舐めて、自分はちょろまかそうとする時やはりカウンターが来るというか、うまくいかないんですね。伝わりますかね。

2つ目は、覚えてもらうことです。

フリーランスとか、個人事業なんてふけば飛ぶ存在です。ということをフリーランスをやっていないとか、会社員の人に想像してもらうのは結構ハードゲームです(笑)無理ゲーとは思いませんが、人って体験して理解しないとなかなかですから。それくらい人はポンコツだと思って良い。僕もその通りですから。ほら、多くの人は普通なんですね。

そういうところでいくと、覚えてもらうにはとがらせるしかない。鉛筆をトッキントッキンにするってことです。尖らせるには、どうするか?そうです。1mmの点に一点突破でリソースをつぎ込む。ほかは一旦捨ててください。底だけ全力でやる。これが悪循環の突破方法だと書いた気がしますが、そうやってやるしかないんですね。きっと。

そうやって覚えてもらう。全部やろうとか、色々やろうとかって僕もしてしまうので悪くないんです。ダメではないんです。ただ、そこで認知されないというのは損害というか、始まらないというか。ゲームがはじまらない、楽しめる世界に足を入れてない、スタートにならない。そういう感覚があります。

当然覚えてもらうために何をしてもいいとかではないですよ(笑)犯罪や反社会的なことは辞めてくださいと。そういう中でやれることって結構ありますから。

バカバカしいかもしれませんが、適当にSNSで投稿して1日1投稿やっていて1ヶ月やっても何も反応がない人がいるとするじゃないですか。それは投稿に心を込めてないからです(笑)というのは冗談ですけど、半分本気です。というのは、適当な言葉を入れてテンプレートでやるってプログラムでも出来ますからね。誰か見えてますか?読み手は?読者は?ってことですね。見えないなら、ほぼそれと一緒だと。それはきついじゃないですか。見る人が人間なら「なんかテンプレだな」で終るじゃないですか。

だから、心を込めては抽象的過ぎますが、でも実際に心を込めて「あの人に届け」とか「こういうのが本当面白いので共有します」とか、書き手、発信側が思っていればやはり表示回数0とかならダメですが、1ならワンチャンスあると。そういう世界は僕が好きなんですね。

実際はそういうチャンスとか機会とか、まさにこれを打席といっていますが一杯あるんですね。チャンスは落ちているし、そこでやる回数を何度も増やしてやるしかない。結構僕はまともな人はそういう話になるんだと思っていて、ここから極端に外れる考えは怪しむようにしているって感じです。

覚えてもらうために、色々削ぎ落としてそれをやるって結構怖いんですね。でも、覚えてもらうを甘く見ている人ほどそこをやっていないと。と偉そうに言っているので自戒を込めてですね。

というわけで、どんどん削ぎ落としてもう最後に何やるか?となったら、これだねと。僕ならアイデア出しでもさらに何をしたいかを明確にしないと伝わるものも伝わらないって感覚ですね。

以上参考になれば幸いです。


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