一次情報がより大事になる

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AIがAIがと言っている時代ですが、逆というか相対的に人間の一次情報、それこそ教養や哲学、古典、小説の表現、大いなる無駄と思えるようなものが、まさに人間の反乱ではないかとすら、そんな形で一次情報が重要になるなと感じました。

そこでは、アイデアの源泉としての一次情報があるわけですが、それをAIが勝手に体験とか経験とかは出来ないわけで、まさに人間だけができる、泥臭さやエラーも含めてということですが人間の価値だと確信的に言えそうです。

今回は一次情報として何がより大事になるか少しだけ書いてみます。

人生の中での経験や体験

経験をしていないから出来ないとかは普通にありますが、それでもやはり自分がやってきたことはその中でも大きな価値です。

温泉が好きなだけです。という人がいても、温泉に入ったことがない人からすれば価値になりやすいわけです。温泉ガイドなんて普通にありえるし、そんなものは氾濫しているかもしれませんが、あなたが語る温泉ガイドは違ったものになりえるポテンシャルがあるわけです。AIはそれを感情っぽく仮に語れてもそれで人が動くかは別です。

AIがあざとく(笑)人間のように振る舞うことに対して分かるかどうかもありますが、完璧なものはないですし、作るのは人ですから杞憂になりえそうです。全くないとは思わないまでも。

自分が経験したことを棚卸して、もしかして自分はこういうことができたのではないか。リフレクションや内省、ジャーナリングなどは大きな価値に、正確には見過ごされていた価値を取り戻す感じで地位を高めていくかなと考えています。

個人的にはこれらを軽視し過ぎではないかと思っていたので大いに良い時代になったと思っています。

経験を言語化出来ること

先とやや重なりますが自分がやってきたことを語る、可視化することが大事となります。これはAIに言う必要があるという意味で、言語化できないとだめなわけです。

例えばイラストレーターの人がいて、「こういう感じで動かせばいいんですよ」という指導は結構危ういわけです。なぜそうか、どうしてトレーニー(指導を受ける方)と違うのか。その差分を説明して、色々な手法で伝えると。

例えばライターなど職業的に書けるといっても、書ける「だけ」なら誰でも出来るので、どう構成を作れるか、どういうレベルで書いているか、届けられるか。そういうところの言語化が必須となってきます。

言語化できてないとないものだは言い過ぎですが、そもそも誰にとっても自分の人生は価値あるものという原則にたてば、それを言語化することはそれだけで尊い気がします。

言語化できる価値はますます出てくると思います。

これらも言語化せずとも話せばいいというところで成り立っていたようなことが、もっと丁寧なコミュニケーションであったり、それこそ構造設計という抽象度が高いものなどがより見直される=重要となっていく気がします。

哲学や信条など生き方が大事になる。ものさしの多様化

これもかなりウェルカムです。

些末なノウハウや陳腐化するような小手先の技術は全て打っちゃって、次へ進めるのではないかと。つまりデジタル化とかも大事ですしDXとかも大事なんですが、それって言葉の意味や本質から常にずれたところで止まりがちです。出来ているところはその真意を理解するが、できてないところは手前で終わるみたいなところです。

そういうところでは、個人の生き方、僕なら僕の、あなたならあなたの生き方そのものがエモいというか、それだけで価値があるわけです。実際はそうだったしこれまでもそうだったのですが、AIが入ることで刺激となって、考えることになると。

コロナ禍もまだまだですが、コロナ禍のポジティブな例を上げれば、それでリモートワークや働き方を見直すのは大いなるメリットだったんじゃないかと。そういう様に捉えられるわけですね。もちろんネガティブな面もある点はあるのでそこを見過ごせってわけではなく。

同様に、AIが入ることで、どうやって生きるか?どうやって働くか?それらもより詰めていく=正解はないのですが、ことになります。詰める時間、考える時間がなかったのが取れるようになる。そうするとより豊かになる。これはポジティブな見立てですが、そうなっていくといいなと。

一方でAIで効率化、空いた時間をさらに詰めるとなると、これもITとか技術あるあるとなって誰も幸せにならないこともありえます。これも考え方とか、やり方なのかなと思いつつ、どうなっていくのを見届けていきたいですね。
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