企画AIで「アイデア出し」はなくなるか?

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ビジネス・マーケティング
今回は、アイデア出し自体は、AIによって置き換えられるかどうかということを考えてみます。

結論としては、当然答えではないですが、僕は「置き換えられない」という考え方です。

AIは学習を出来るが、人間の学習とは異なるっぽい

僕の理解に過ぎませんが、AIが言う学習、例えば機械学習とは、教師ありとなしという学び方があります。教師ありは学ぶ素材、インプット素材があって、例えば猫とか犬とかの写真が膨大にある。で、そのインプットに対して「猫」なのに「犬」と答えたら違うとか、または「それは犬」みたいに、正解=教師という認識ですが、教えていく。これでも絶対正解はなくて、例えば猫っぽい犬とかがいると、犬らしさ度が1で犬とするとき、0.5くらいになって、猫らしさ度が1で猫とするとき、0.5となって「分からない」となる。

まあ、これも別にAIでなくても人間でも迷うわけですが。

教師なしだとその正解がないので、どうだったかなーと思うんですがそれはおいておいて。

そして、大事なのは、翻訳みたいなのも、「I'm student」みたいなことを「僕は学生です」とかって何か人間が考える「知能」のようにでなく、それっぽい確率が高いもので回答しているというのが僕の認識です。つまり、AIが「student」=「学生」という理解をしているのでなく、そうなっているとか、または一定の人間が発したデータ(SNSとか)から確率的にまあ「学生」でしょうって感じかなと、僕は理解しています。

だから、人工知能とはいえ、人工であって、人間の知能とはやはり一線を画すわけです。

だからAIが駄目とか、使えないとかではもちろんなく、人間の代替とするのは筋が悪くて、人間がやらなくてもいいことをやってもらったほうが、まあ人間のQOLは上がるよね、という考え方をしています。

文章を書くAIが生まれて、文章を書く仕事は消えるか?

それこそWebライターみたいな話ですが、SEOを意識したライティングが出来るというネタをみかけました。これは面白くて、本来10工程あるものが、AIが7工程、人間は3工程やればいいという話でした。厳密でなく雰囲気として受け取ってもらえれば。

実際にそのサービスで、確かに7工程、例えばキーワードから記事構成を考えたりとかですよね、そういうのはAIでもある程度出来ると踏んだと。そして僕もそこそこできるのではないか、ただしそのまま使うのでなく人間がやはり前後は関わるというイメージですが、できちゃうのだと。

では、人間が前後に関わるというのはなにか?

そうです。つまり何を書いてもらうか、アイデアですよね。最初の企画として、どういう記事を書いてもらうか、それをキーワードでレベルで指定するとして、そのキーワードは人間が考える必要がある。

勝手に「念じた」ものをAIが書く世界ではないです。実際に念じて伝えるデバイスが出来れば近いのですが、それでも念じるは手抜けないわけですよね。例えば、「冬のスポーツについて」書いて欲しいなら、そう指定する必要がある。それでは弱いなら、スノボとか、スキーとか、最新のスポーツとか、登山で遊べるかとか、そういう切り口も入れる必要があるわけですね。

これがまさに企画であり、アイデア出しであると僕は感じたのですが、それはなくなりようがないし、なくなると仮にランダムにAIが生成したものを「選択」「許可」するということもありえます。ただそれは、勝手に生成された人間味がない、無機質な記事となりそうですが、既にそれらが量産されたりしたとき、どう見合わけるか?ってことになります。見分けられないし、かつそれで人が見て理解できて、「この文章は人間が書いた」と思えば、それでいけちゃうんで、ここはなんとも言えません。この文章は僕が一から書いていますが、仮にAIですり替わった時に見極められるかというと、結構しんどい気がします。だから話題であり問題になるんですよね。使い方が色々できてしまうからこそですね。

あとは前でなく、後ろの話です。つまり、生成した文章をそのまま使えるわけではないということ。実際にはAIが生成したものは一体何かというのは議論があるわけで、それって誰かのネタではないか、その組み合わせでいいのか?となるのですよね。でもですね、僕もそうですが、僕が考えたとはいえ、そのオリジナリティを証明できることはまずなくて。厳密に誰かの文章をそのまま覚えていてコピーして貼り付けるのはアウトですが、そうでなくても、影響を受けたり考えて血肉にすると、似てきますよね。ここもものすごく難しいなあと思うところです。

そして結論を急ぐと、ここでは書く仕事でAIがやれることはAIでやってもらうと。例えば議事録とか文字起こしはなくならないけど、AIがかなりやってくれたらあとは簡単に治す、専門用語などの学習コストとかの話になってくるのかなって感じですよね。

それと一緒でSEOを意識した記事も前後に分けると、SEO知識があるライターはその企画がまずできる、あとは見直しも出来る。仮にSEO知識がないライターは企画がまずできないか精度が低い、また見直しもSEO視点では難しいのでとなる。そういう意味でSEO的なアウトプットが出来るAIがあっても、SEO知識があってもなくても変わらないとはならないんですね。

これって英語が出来る人が、翻訳ツールがあれば不要とはならないで、結局文化理解とか違う視点では必要で。人間臭いコミュニケーションがいけるかどうか。そこらへんですよね。会話が出来るから友達というよりも、雰囲気が好きとかそういうことになるわけで、そういう雰囲気は翻訳できないですしね。人間らしさってのも消えないわけです。

むしろ、企画が出来るライターというか、アイデアが出せる人はより相対的にですが、貴重となったり、レア化したり、より仕事ができるようになる気がします。

企画が出来る、アイデアが出せるは相対的な価値となりえる

今回は一応というか、ここでの結論としては、企画が出来る人がAIに置き換わることはまずないでしょうと。

さらにいえば、企画が出来れば、ライター的な力がなくてもですよ、最初の元でアイデアが出せるので、そこで優位となるわけです。当然書き言葉などの知識が必須とか、何か違うインプットが要るならそこで負ける可能性もあるのですが、アイデアを出せる領域と、文章が書けるはわりと違っているわけです。

例えば、企画を出せるのか、その企画に則って文章が書けるか。かなり違うというだけですが、ここは学んだりして考えないと企画はできないと。

だからこそ、むしろ、企画が出せるとか、考えられる人が、AIによって、そこは人間がやる仕事ということで付加価値があがる。逆に脅すわけではないですが、単純作業でAIで出来てしまうところはやはり置き換わってしまう。これはそうはいってもというのは実際にありましたが、文章作成くらいなら出来てしまう気がすると。

当然使う側が、AIでやってみたけど微妙なら世界は変わらないです。が、結構使えるというように認知されて、かつコストがそれほどかからないなら、もうそれでいっちゃうよなあ、という話です。

僕はだからこそチャンスだと思っていて、まさにAIを手段として使ってもらって、あとは考えるとか、企画とか、アイデアの部分ですよね、そこをどんどん出していくと。

当然AIがアイデアを考えることもある程度はできるかもしれません。ただ、現時点で、前書いたようなスキームとか世界を超えるようなことはなかなか出来なくて、なぜならAI自体の認識みたいなものというか、世界の設定とかはないはずだからです。あくまで対話型AIなら見合うものをアウトプットしているだけで、知能っぽいけど、知能ではないってのが僕の見立てです。

例えば、同じ質問をAさんとBさんがして、それが同じ対話型AIとしたら、違うリアクションが出てくる。それってAI人格としてはないわけで、人間の人格というか、多面性がある人格であってもちょっと逸脱している感があるかなと。

その上で、企画や考えることがAIで出来るとしたらどうするか?
まあその時はその時で別のことをやればいいわけですが、そうなるとおそらく労働の感覚もかなり変わってくるはずです。例えば、交通事故が起きたエリアをどうするといいかって、人間が考えそうな話です。
でも、そこをAIが考えてまちづくりをすると。その提案に人間が従うというか、判断するかとか細かいことはおいておいて、それってAIが作った街となって、全く人間感、身体性、人間臭さがないわけで。安全で安心ならそれでいいかもしれませんが、そううまく行くことはまあないですよね。

なぜならAI自体が人間が作ったものであって、それを超えていくことはちょっとしづらいと僕は考えるからです。それを超えれば知能的ですが、囲碁将棋などは軽く超えたわけですが、デモンストレートとしては面白いけれど、人間の将棋や囲碁はなくならないわけです。楽しみとか視点が違いますからね。

というわけで、アイデア出しとかって今後より価値が出てくるのではないかというポジティブにしつつ今回はこれで終わりにしたいと思います。


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