セルフトークを変えてマイナーな推しカプを心置きなく推せるようになった話

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こんにちは、ほうりです。
以前『〝今〟の私にとって二次創作は果たして必要か?』という記事を書きましたが、実際少しだけ二次創作から距離を取って見て、改めてマインドコーチングについてインプットをしたところ、改めて見えてきたものがありました。
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それは二年前からお世話になっているメンターさんの動画なのですが、その中で『今の自分は自分が受け入れたセルフトークで作られている』『でも人間は自分にとって必要ないと感じたセルフトークは手放すこともできる。これはある意味で救いだ』と仰っていました。

そこで私は気が付きました。

私は長い間、賛同者が多い所謂王道カプは正しいと思い、マイナーカプは数の暴力によって淘汰されるべきというセルフトークを使っていたのではないか、と。

今回はそれについて自分の気づいたことを書いていきます。

王道カプ=数が多い=正義って誰が決めてるの?

Twitterやcremu、5chの同人板などでもカプについての悩みは昔からついて回るものです。

その中でも自分が推しているカプがマイナーで、代わりに逆カプや地雷カプが数が多い王道の場合、肩身が狭い思いをすることは多々あります。

実際私もマイナーなジャンルやカプにハマることが多い上、逆カプや地雷カプが推しカプより増えることがどうしても許せないし、それらが王道である事実がたまらなく嫌だと常に感じていました。

しかし二次創作という土俵で活動している以上、数が多かろうが少なかろうがメジャーが正義でマイナーが邪道なんてことはないんですよね。

これ、30年間二次同人に身を置いていて今日の今日まで全く気づいていなかったくらい、数の多さが正義だと妄信していたということになります。

そもそも数が多い王道カプが人気なのはそれに値する理由があるからそっちにハマって楽しんでいる人が多い、それだけなんですよね。

逆に数が少ないマイナーなカプでもそそられるものがあるから、少数ながらもそれを推して楽しんでいる人がいる訳です。

どっちも楽しんでいることには変わりはないのに、数が多いから正義とか少ないから邪道とか、そう思うこと自体ナンセンスだなということに気づきました。

とはいっても、マイナーなカプを蛇蝎の如く嫌っており、それが数の多いメジャージャンルの所謂大手と呼ばれる人がスピーカーのようにわめきたてていれば、「自分は間違っているんじゃないか…」「解釈がおかしいのかな?」と思う気持ちもすごくよくわかります。

ですが先に述べたように、その大手さんのマイナーカプは邪道という主張を受け入れるか受け入れないかは自分次第なんです。

セルフトークは自分が自分にかける言葉を差しますが、他人からの言葉を自分ごとのように受け入れることもセルフトークとしてカウントされます。

解釈が間違ってるともマイナーなカプを好きな自分も否定したくないけど、数が多い大手カプの王道が言うことだから間違いはない。

そう思ってしまう背景には、多数決で物事を決めてきた学校生活や、日々の生活の至る所に何々が人気だとかトレンドだとかが溢れている影響も大きいと私は思います。

でも実際、カップリングって法律でもなんでもなくて、ただ数が多いか少ないかだけの存在でしかないわけです。そこに正義も邪道もありはしません。

自推しのカプが例えマイナーだとしても自分が正義だと思えばそれが正義なんです。

数が多いのは正義と思ってしまうのは、見てもらえて評価される機会が多いから

個人的な意見ですが、メジャーな王道カプが正義だと思ってしまうのは、人気があるから多くの人に見て貰えて評価される機会が多いっていうのもあると思うんですよね。

逆にマイナーなカプの場合、片手で足りるほどの数しかいなく、閲覧数も評価される機会も少ない。なので評価されないし見てもらえなくてツライ…とふさぎ込む状況にもなりやすいと思います。

そう考えていくと二次創作ってやっぱり他人軸になりやすい趣味だと思うし、自分軸で生きていくにはどうしても折り合いを付けていく必要があります。

そもそも閲覧数についてですが、これはpixivや閲覧数が見えるプラットフォームに投稿すれば、きちんと数字でカウントされますので、全くと言っていいほど見てもらえないということはないかと思います。

興味はあってクリックしたけどすぐにリターンバックをしたでも見て貰えたことには変わりはない。

そう考えるようにすれば、見てもらえないと嘆く必要は無くなります。

最も「最後まで見て貰えて初めて見てもらったというんだ!」という意見もありますが、私の知る限りでは今のところ最後まで読了してからカウントされるという機能を持っているプラットフォームや解析を知らないので、それは考えるだけ脳の容量を無駄に圧迫するだけなので考えないようにしています。

次に評価されることについてですが、これは自分自身がどうにかできる物ではなく他人の考え一つで決まるものです。

マインドコーチングではありませんが、メンタルを鍛えたり自分らしく幸せに生きるという趣旨の本の多くには『自分でコントロールできないことに対してエネルギーを使わない』ということが書いていますが、まさに他人が読んで評価してブクマして、あわよくば感想を送ってくれるというのは自分ではどうしようもできないことなんですよね。

メジャーなカプならそうした機会に恵まれているので、自分がコントロールしなくても入れ食い状態なので余計にメジャーカプ=正義であると思い込みがちです。

しかし評価は他人しかしてはいけないなんて誰が決めたんでしょうか?

先程も言いましたが、セルフトークは自分が受け入れることによって今の自分を作っています。

なのでメジャーカプが正義だと思う理由の一つに『他人から評価されることによって私の作品は初めて価値を持つ』というセルフトークを受け入れている可能性が高いです。

オリジナルやプロで活躍するなら他人の評価は貴重な物ですが、自分が好き好んで楽しんでいる二次創作同人において他人の評価って本当にそんなに大事なのでしょうか?

自分が萌えたから書いて、自分で自分の作品を好評価して、ああやっぱりこの作品好きだなぁと自萌えしたって良いじゃないですか?

他人からの評価は確かに嬉しいものですが、それだって数が多ければいいってものじゃないと思います。

そもそも人の心を動かせること自体すごいことであって、一人でもそう感じてくれた人に感謝し、そんな作品を書けた自分をもっと褒めたっていいと私は思います。

それに他者からの感想が欲しければ、今だと感想をお金で買えるサービスがありますからそれを利用したってかまいませんしね。

実際に私も利用しましたが、対価をしはらっているだけあって自分の書きたいところを隅々まで汲んでくれる深く濃い感想を頂けたので、感想が来ないフラストレーションを晴らすには持って来いのサービスです。

セルフトークを変えて推しであるマイナーカプをもっと愛でられるようになったまとめ


というわけで、マインドコーチングを改めて再インストールした結果、自分はいつの間にか、『マイナーカプは肩身が狭くてナンボ。どうせ王道カプには数が多いから何でも許されているずるい』というセルフトークを採用していたことに気づいたという話でした。

このセルフトークって無意識の本当に底の底に根を張っていることが多いので、なかなか意識に上げることって難しいんですよね。

ただ意識に上げてしまえばこっちのものなので、このセルフトークをそのまま受け入れ続けるかそれとも手放すかは自分次第なのは冒頭で話した通りです。

勿論私はこのセルフトークは手放して、記事内で述べたことをセルフトークとして採用します。

自分で自分を評価しやすいプラットフォームはポイピクやくるっぷ、いっそのことサーバーを借りて自サイトを作ってもいいかもしれません。

そうすることで自尊心を高めていき、他人じゃなくて過去の自分と比較して、更に自分が萌える話をどんどん書いていける。そんな好循環を作っていく方が心の安定にも繋がってきます。

もしも自分の推すカプがマイナーでツライ、逆カプの数が多すぎてイライラムカムカするという場合、今回紹介したセルフトークを採用している可能性が高いので、まずは紙に書くなりして自分の気持ちを洗い出していきましょう。


どうしても耐えられない場合はこちらのサービスをご利用ください。



ではまた。
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