こんにちは皆様。
現在の女子短大の立ち位置が今ひとつわからないが、私が入っている時期の女子短大は2年居て出たら腰かけ程度の仕事に就いて、結婚して家庭人になる、が学校の趣旨だったと思う。
きれいごとで一生の仕事を見つける為だとか、しっかり勉強して社会で使える人にとか言われても納得できない言葉が使われていた。
誰が使うかって、先生が使っていたのだ、学校において先生は絶対、どうあがいても上の存在だ。
その人が言っているのだから、我々はちゃんと勉強して社会の主軸として仕事をするのは期待されて無かったのじゃ無いかと思う。
時代は流れて、私は学校や親の思いどうりに主婦になった、主婦と言っても夫が会社の代表でその仕事をしていたのだから、仕事はしていた。
子供4人いて仕事を手伝って(経理の仕事だったので決算時期は休みなし)親にも夫にも家事を手伝って貰うなんて考えて無かった。
人生一回でそれしか選択していないと、これが普通なのだと思ってしまうから不思議だ、短大時代の先生のお導きも影響しているのかも知れない。
4人目の三女が大学に入学した、そう言えば社会心理学とかしたかったんだったと思った。
三女は大学なんていかん、専門学校行って早く仕事をすると言い張っていた、それも人生だし親としては有難いが、社会心理学がしたかった私、親に反対されて家政学に行けと言われたのを、何とか国文専攻にして貰った経緯がある。
時が来たら社会心理学を学びたいと思っていても、経済的には中々出来ない、三女も今は直ぐに社会に出たいと思っているだろうが、きっと大学で外から社会を見るのは大事だろう。
そう思っていけるなら大学行ったら?親は大変だが本人の為になるだろうと行かせた。
その大学の入学式での話が良かった。
学長が(私が聞いたんでなく、三女のまた聞きなので、正確では無いが)女性は結婚、妊娠など仕事を変えたり、止めたり決断する時期が多い、この学校では一度仕事を辞めてしまっても、再度働けるだけの知識を身に着けて社会で活躍して貰うために授業をしていきます、と言われたそうだ。
私達の時代とは天と地ほども違う、女性が社会で再就職出来るのが大変なのは、今も昔もでしょうが、学校は働くのを是としてそこにある。
これを聞いただけでもその学校に行かせた意味は有った、その当時そう思った。
どちらが上とか下では無いが、私は仕事をしようと思うと、時給1000円にも満たない仕事くらいしか面接さえ覚束ない。
三女は家でネット上で仕事をして、倍以上の時給を貰っている、私も経理や事務は出来るが、そうでは無い何かが必要なのだろう。
この社会の片隅で主婦になるべく教育を受けた沢山の中高年女性はどう向き合えば良いのかな。
家に籠っていると考えが俯いてゆく。
文を書きたい、その思いだけで書いているこの文は誰かの目に留まっているのかな?
いつも、有難うございます、