少し前までの私の口癖は
もう疲れた、生きるの疲れたな
だったの。
正直、自分が生きている意味が分からなかった。
というか、生きていることによる周りへの害しか思いうかがなかったんだよね。
私がいなければ
子どもは怒鳴られることもなく、好きなことが出来る
旦那も不機嫌な妻のもとへ帰らなくていい
姑も余計な存在がいなくなって清々するだろう
親だって、煩わしい存在から解放されるだろう
そうとしか思えなかったんだよね。
でもこれ。
実は毒親育ちゆえ、とも言える感じ方なの!!
毒親の元で育つと
無条件の愛・無条件での存在の肯定
を知らないで大人になるのね。
それどころか、存在を否定されるような言葉すらしょっちゅうかけられるのよ。
こんなこともできないなんて!
とか
橋の下で拾ってきたからな
とか
こんな成績を取るなんてどういう事!
とか。
色んなところで『私』を否定する言葉ばかり向けられる。
だから、自分自身が生きることそのものを否定する方が自然なんてことになっちゃう。
我が家の場合、親自身が生きることそのものを否定していたから、私も生きていることを否定することが、ごくごく自然なことだったの。
肯定するよりも否定する方がなじみ深い。
悲しいけどね。
でもこのままじゃ、生きていることが辛い。
ふとした時に、深くて暗い穴に落ちこんでしまう。
そんな状態から、変わりたい!そう思うなら、まずは
自分を否定するのを止めてみて。
肯定できなくてもいい。
ただ自分に向けて
それでもいいんじゃない?
って言ってあげて欲しい。
そこから、変わっていくものがあるからね。