人が決めたルール
「神社で誓いを立ててきた、その後のお礼参りは必要だろうか」
「神社でお札やお守りをいただいたら、毎年お返しして新しくしなければいけないのか」
たまにそんな質問をいただきます。
何かしらのマナーやしきたりがあり、そのようにしないと祟りがあると心配な方もいらっしゃるようです。
お守りの中身を見ても大丈夫?
で少し触れていますが、お守りに期限はありません。
宗教団体や神社に相談すると
「あなたはこういう状態だから、いついつまでに
〇〇しなきゃいけません」
と、お守りなどの供養のための「お焚き上げ」や御礼参りについてのレクチャーがあります。
「しなきゃいけません」の不思議
この「しなきゃいけません」という言葉は実に不思議なもので、相手の中に「義務感」が生まれることもあれば、「安心感」が生まれることもあります。
安心できるのは良いことですが、義務感というのはいささか窮屈です。
神様と言う目に見えないご存在に対して、素の自分でおつきあいしたいのに、誰かが決めたルールに従って「安心」や「義務」を与えられるということに違和感をおぼえます。
昔から決まっているといっても
しかも「昔から決まっているから」という「昔」というのも恐ろしく広く、縄文時代と奈良時代ではルールはおそらく違っていたでしょうし、平安~戦国~江戸から近代と時が過ぎる中でもルールは変わり続けていると思います。
なので、さほど神経質になる必要はないのではないでしょうか。
私もけっこうルーズに見られてるかも
かくいう私も「お礼参りは不要」と推奨しているわけではありません。
しかし、ルールやしきたりに厳格な人からみると、ルーズに映っているかもしれません。
人が決めたスケジュールで動くのではなく、「ああ、そろそろお礼参りに行きたいな」
と思ったときに行く。
「今のお札をお焚き上げしてもらって新しくしたいな」
と思ったときに行く。
これぐらいの自由さはあっていいと思うし、そんなことでいちいち神様も怒らないと思います。
もちろんそんなときも、たとえば出雲大社から授かったものであれば、同じ大国主神様がお祀りされている神田明神にお礼に行くとか、それくらいの配慮ならできるのではないでしょうか。
授かったときと同じ神様の神社が近くになければ、その時期にご縁のある神社に全て奉納することもあります。
絶対の答えなどない
「神社で授かったものは一生大切にすべきですか?」
と、神道専門家に問いかけると、
「神様からいただいたものだから、そのとおりです」
と答える方もいれば、
「年に一度は必ず新しくしなければいけません」
という方もいます。
要は絶対の答えなどないということです。
気楽に神様とおつきあいしよう
人が決めた(しかも、いつ誰が決めたのかもわからない)ルールにガチガチに縛られず、「こうしてみたいな」「これができなかったら、次はこうしてみよう」と感じて、思い、決めて、素直に神様と接するのが本質的なつきあい方で、神様の方も気楽に向き合ってくれるのではないでしょうか。
ただ、「どうせ神様は怒らないんだから、何しても許される」と傲慢にならないこと。
きちんと敬意を払って、謙虚な気持ちで神様と向き合うことを忘れないようにしてくださいね。