親切なあなたが隣人に殺意を感じるまで

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コラム
親切心は時に良くない結果をもたらします。
「隣の三尺」という言葉をご存じでしょうか。

ある時少年が家の前の掃除をし始めます。
掃除をしていると隣のお家の落ち葉も気になるのでついでに掃除しました。
終わった後沢山掃除をしたことを褒めてもらおうとおばあちゃんに報告しに行きます。

「おばあちゃん、今日ね、家の前と隣のお家の前もお掃除してきたよ!」
「あぁ…そうなの。」

褒めてもらえると思ったのに、おばあちゃんはなぜか浮かない顔。
少年は少し悲しい気持ちになります。
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次の日隣の家の人が来ました。
掃除をしてくれたことへのお礼を伝えに来たのです。

そして、『お礼に今日は私がお宅のお家の前を掃除しますね。』と。

ここから地獄の始まりです。初めは少年の親切心から始まった掃除が、いつの間にかお互いの家の前を交互に掃除する事が日課のようになってしまった。

ある時から“昨日はあんなに綺麗にしてやったのに、今日の掃除は全然なっていないじゃないか!”と怒りに変わってきます。
そして隣人との争いが始まってしまいます。
親切にしたことの“してあげている”が“してやっているのに”に変わってきたのです。

おばあちゃんはこの様をみて「だからダメだったんだよ」と嘆きます。
少年は自分から始めた親切心のせいで、隣人との関係が悪くなってしまったのです。

これだけ見たら大変つらい話ですね。

それでは、少年はどうすれば良かったのか?

“三尺”分の掃除だけ、すればよかったのです。
(三尺は約90センチメートル)

親切心は時に見返りを求めてしまったり、時に相手にプレッシャーを与えてしまったりします。三尺はこれを思わせないちょうどいい塩梅の事。

親切心は初め優しさの心ですがあまりにも捧げすぎると心で見返りを求めてしまう。
また親切にされ過ぎると日本人は特に“同等のお返しをしなきゃ!”と思ってしまう。返報性の法則が良くない方向に動く例です。

相手の事を想ってしたことがいつの間にか憎しみに変わっていたりしませんか?時として殺意にまで及びます。
でもそれは相手の責任ではなく自分が親切にし過ぎているのかもしれません。

親切心はお互いが負担にならない、ちょうどいい加減でするのが本当の親切なようですね。

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