文才ゼロのライターが偶然発見した目からウロコのカンタン文章術

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学び
作文が苦手という人は多いのではないでしょうか。

じつをいうと私も大の苦手でした。実際、学生の頃から作文は嫌いな科目の筆頭格でしたし、その後、どういう運命のいたずらかマスコミ業界にもぐりこみ何食わぬ顔でライターを名乗るようになってからも、その苦手意識は心の奥底にこびりついたまま消えることがありませんでした。

そんな状態でしたので正直なところ、ライターといってもろくな仕事ができなかったのはいうまでもありません。いまだバブルの余韻さめやらぬ時代だったことを差し引いても、あれでよく食えていたなと今から思えば驚くというよりあきれかえってしまいます。

ただひとつだけ当時から腑に落ちないことがありました。それはそんな私でも場合によってはすらすら書けるときがある、ということです。

なぜ書ける時と書けない時があるのでしょうか? 文才というのは、ある日突然目覚めたり、眠ったりするものなのでしょうか? いいや、そんなはずがありません。持って生まれた才能というのはそんな気まぐれなものではないはずです。長年疑問に思っていた私は、そこにひとつの共通点を発見しました。それは書けない時は例外なく「問いが明確になっていない」という事実です。

問いが明確になっていないとなぜ書けないのでしょうか? 

頭を絞った私はやがてその答えも見つけました。それは文章というものの本質にも関わってくる話です。

そもそも文章というのは、突き詰めていえば問いに対する答えです。なんらかの疑問がそこにあり、その疑問に対して答えを提示するというのが文章の基本的な構造です。そしてそこで重要になってくるのは問いです。問いがなければ答えもありえないからです。

(続きは次回)


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