本来の美は自然に元からある姿を良しとする。
尾頭造りはその食材の生であるときの姿を、そのままにして盛り付けるようなものであるから、それは単純に美として捉えられやすい。
また、上に盛る身は魚の骨に合わせて盛る人も多いが、それでは遊び心が足りない。
そこで、連なる山のように立体感を持たせて盛ると、それもまた美と感じられる。
また、先程の骨に合わせて盛ることについて、肯定的な捉え方を述べるとすれば、そのように盛ってから、上から皮を被せ、より生の状態に近づける方法は美しい。
しかし、絶妙な調節が難しく、少し狂うと汚らしくもなってしまう。
また、尾頭造りでなければ綺麗ではないとかと言ったら、全くそうではない。
身だけを盛ることもとても美であるが、これはさらに難しい技術が必要となる。
連なる山のように盛ることは良いが、単調にそれが続いてはつまらない。
同じ大きい山も小さい山も、時には川や山間の家など、そういったもの全てが合わさって美しい景色となるため、それを複雑に表現する必要がある。
また、海をイメージしてもいい。
あらゆる方向からくる波のように盛ることが重要となるが、しかしこれはよりセンスが問われる。
薄作りのように中心から同じように丸く盛る方法は、配置は気にせずとも良いが、あしらいを多く必要とする。
それらのことから、尾頭をつけた盛り方をする人が多く、それが豪華で綺麗とされがちである理由である。