「ガチャ」の正反対が「インターネット」

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 半年くらい前でしょうか。「親ガチャ」という言葉を初めて聞きました。その瞬間に思ったことは、世の中のほとんどのことはガチャであり、配偶者ガチャ、子ガチャ、学校ガチャ、先生ガチャ、病院ガチャ、医者ガチャ、教会ガチャ、牧師ガチャ、福祉ガチャと、限りなくあるということです。そして、そのなかで最も大きいガチャが「自分ガチャ」だと思いました。自分で自分は選べないですからね。でも、私は46歳になるつい最近、「自分ガチャ」は当たりだと思うようになりました。じつは、あらゆる自分ガチャは当たりなのかもしれません。(言い過ぎでしたら申し訳ございません。そうだといいなという思いでこう書いてしまいました。)

 私は中学で吹奏楽部に入り、フルートを始めました。(フルートという楽器も自分で選んでいません。「楽器ガチャ」です。)高校からはオーケストラに入りました。オーケストラというものは、たくさんの人がいます。なかなか選曲で自分の意向が反映されることはありません。大学では東大オケ(東京大学音楽部管弦楽団)というところに入っていましたが、そのオケは、選曲は多数決でした。まずパートリーダーが話し合いを重ねて、最後の曲決め総会で、投票で決めるのでした。それにしても、自分のやりたい曲がやれるわけではありません。そこでどうするか。「やると決まった曲を好きになる」しかないのです。つまり「やる曲ガチャ」です。曲とも出会いなのです。その代わり、自分からでは出会えなかったようないい曲とも出会えるのです。私はフルートの個人レッスンでも、ほとんど自分のやりたい曲をやるのではなく、ただ与えられた曲を習っていました。しかし、そのおかげで、決して自分から選んだらやらなかったであろう名曲とたくさん出会ってきました。アプシルの「シシリエンヌ」などという知られざる名曲との出会いは、「やる曲ガチャ」だからこそ出会えた名曲であると言えましょう。結婚も同様だと思います。好きな人と結婚するという以上に、結婚した人を好きになるしかない面があるだろうと思います。(言い過ぎでしたら申し訳ございません。)

 あるレストランで、お客様アンケートがありました。「当店をどのようにお知りになりましたか」という項目がありました。「インターネットで」とか「チラシで」とかいう選択肢がありましたが、私の答えは選択肢のなかにありませんでした。私がその店を知ったのは「前を通った」ということだったのです。「前を通った」というのは、かなり「ガチャ」の要素があります。

 この「ガチャ」と正反対だと思われるのが、インターネットというものです。インターネットというものは、自分の好きなもの、興味のあるものしか出て来ないのです。たとえば私のパソコンから「サッカー」や「ラグビー」はまずまったく出て来ません。なぜなら私はスポーツ全般に興味がないからです。私がYouTubeを見ると、まず、特定の教会のオンライン礼拝(コロナ禍以降、多くの教会の礼拝がオンライン化しました)か、オーケストラを始めとするクラシック音楽ばかりが出て来ます。なぜなら私がそういったものばかり検索して見ているからです。たとえば、滋賀県の福祉は非常に手厚いことを最近、知りました。これは「滋賀県 福祉」などで検索すると、すぐにわかることです。しかし、滋賀県にも福祉にも興味のない人は、まずそのキーワードで検索することがないため、永遠に「滋賀県は福祉が手厚い」ことを知らないわけです。キリスト教の世界でも、あるいは発達障害の世界でも、皆さんいろいろな人に読んでもらおうと思って工夫をなさっています。しかし、「広めたい」と思っている人からすると残念なことに、インターネットというものは、「検索しないと出ない」世界なので、興味のない人になかなか知られることはないのです。(最近、このインターネットの弱点に気づいたと思われる人がいたのか、自分の興味と関係のないニュースが少し入ってくるようになりましたが。)

 とにかく、「ガチャ」の正反対が「インターネット」だろうと思っています。自分の好きなものしか出ない反面、あっと驚くような出会いもありません。自分と少しでも意見のあわない人はブロックしてしまったりします。インターネットというのは、全世界に発信しているようでいて、じつは人と人をへだてる見えない壁ではないでしょうか。
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