宗教に見えないけど、それ宗教ですよ

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 私はキリスト教の信者です。キリスト教ははっきり宗教です。しかし「世の中には、『宗教に見えないけれど、それはじつは宗教である』というものがたくさんあるのではないか」と思うことがよくあります。そのいくつかの例を挙げたいと思います。

 私は5年前まである私立中高の教員でした。教員だった時代のことです。私はある部活の顧問でした。あるとき、夏休みに2泊3日の合宿がありました。ある部員が、どうしても初日が来られないと言って来ました。その日に、ある大学のオープンキャンパスがあって、その生徒のお母さんが、合宿を休んで、そちらへ行けと言っているとのことでした。私は学習指導要領などちゃんと読んだことのない不勉強な教員でした(でも多くの教員は読んだことがないと思います)。でも、少なくとも部活動というものははっきりと課外活動という学校行事であり、大学のオープンキャンパスへ行くのよりは優先順位が高いはずです。その生徒さんが合宿を欠席するとキャンセル料の発生するコーチもいました。その生徒さんは「うちの親は強烈だから…」と言っていました。ついに私はその母親と電話をすることになりました。職員室の電話からかけたことをよく覚えています。たしかに手ごわい母親でした。どうしても合宿よりもオープンキャンパスへ行くのが優先だと言って聞かないのです。ついにその母親は電話口で叫びました。「オープンキャンパスへ行くことのほうが優先ですから!部活は『遊び』ですから!」。そう言いたくなった母親の気持ちもわかります。しかし、私はそのとき直観しました。この母親はカルト宗教の信者だ!と。

 つまり、そのお母さんは「息子がいい大学へ受からないと救われない宗教」というカルト宗教の信者だったのです。気がついてみると、この宗教の信者はいたるところにいました。その特徴は、カルト宗教と言われるもののそれとそっくりでした。すなわち「ひとの意見に耳を貸さない」「じゃんじゃんお金をつぎ込んでしまう」と言ったところまで、カルト宗教というものにそっくりなのです。これは6、7年前の話だと思いますが、気がついてみると、この「学歴信仰」だけでなく、世の中にはたくさんの「宗教に見えないけれどもそれは宗教です」というものがたくさんあるのでした。宣伝と言われるもののほとんどは宗教の勧誘ではないかと思われるほどです。南の島へ行くと救われる「旅行教」、ペットに癒やされると救われる「ペット教」、それから「美容教」や「健康教」などが代表的なものでしょうか。もちろん私は旅行に行くことそのものをカルト宗教とは言っていません。ペットを飼うのもいいことでしょうし、いい大学を目指すのもいいことでしょう。しかし、一部の皆さんが「度を過ぎている」のです。「狂信的」になっておられるのです。これはもうカルト宗教ではないでしょうか。

 去年(2021年)の暮れ、あるブログの記事を見ていて、『夫は成長教に入信している』というマンガを知りました(原作:紀野しずく、漫画:北見雨氷)。さっそく買って読みました。これは、「成長」というものにとらわれた男性の話です。古い言葉を出しますと「成長戦略」という言葉がありました。もっと古い言葉としては、「変わらなきゃも変わらなきゃ」という宣伝がありました。みんな「変わらなきゃ」と思っています。「成長しなきゃ」と思っています。学校の先生のよく言う「時間を有効に使いましょう」「なにごとも計画をたてて」「効率よく」という言葉のかずかずも、すべてこの宗教の教義ではないのか。

 同じく去年の10月に、ある男子中学生が、ある教会で洗礼を受けました(「洗礼を受ける」とは、キリスト教の信者になることです)。その彼が洗礼を受けるにあたって信仰告白をしました。そのなかに出て来る言葉です。「ぼくも弟や妹とけんかをするときは『自分教』になっています」。つまり、これからキリスト教の洗礼を受ける彼は、自分がしばしば「自分教」であることに気づいているのです。彼は「自分教はいけません」と言ったのではなく、まして「自分教を脱したからキリスト教の洗礼を受けます」とも「キリスト教の洗礼を受けたら自分教を脱することができます」とも言っていません。自分教っていうのは深い言葉でありまして、だれも自分教から脱出できないのです。これもよく学校の先生の言うことですが、「自分のことは自分でしましょう」とか「ひとに迷惑をかけてはいけません」と言われます。われわれはいつのまにか人に頼ることができなくなっていきました。われわれは「わかりません」「できません」「困っています」「助けてください」と言えなくなってしまいました。これは「自分教」の末期症状ではないでしょうか。「自分のことは自分でしましょう」。恐ろしい言葉です。

 とにかく、宗教に見えないカルト宗教はたくさんあると思うようになりました。私はキリスト教の信者です。しかし、多くの「無宗教」の人も、いつのまにか強烈に信じている宗教があるのです。しかし、多くは無自覚ですから、やっかいな現象です。われわれはどうやったらこの「学歴信仰」「成長教」「自分教」から脱会できるのでしょうか…。
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