どこまでがシェルターですか?

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コラム
 私がいま住んでいるところはA市です。16年前に仕事の関係でA市に住み始めました。私の実家がある私の故郷はB市です。そのほかにこの記事には友人の住んでいるC市という市が出て来ます。

 去年、C市に単身で滞在したときのことです。ある教会のシェルターと言われる一室に10泊しました。とりあえず泊まるところもないくらいに困っている人が身ひとつで泊まれるようになっている一室でした。ちゃんと布団があり、シャワーがあり、洗濯機がありました。ごみばこや冷蔵庫は教会そのものにあります。水道代も光熱費も、1円も取られません。人の善意(寄付)で成り立っているシェルターでした。

 最初のうち、ここの勝手がわかりませんでした。まず、入り口と反対側にもうひとつ扉があります。これは、ここを誰かが通行するということではないのか。いつまでも布団を広げて寝ていてはダメではなかろうか…。しかし、その向こう側の扉はじつは閉め切りであり、このシェルターはどんづまりであることがだんだんわかってきました。そして、10泊しても、どうしても理解できなかったことがありました。「どこまでがシェルターで、どこからがシェルターの外か」がわからないのです。

 シェルターには扉があり、そこはくつを脱いで上がります。その中に、布団を敷いたりするようなところがあります。ですから、その扉がシェルターと外との境目であるように思われるわけです。しかし、シャワーやトイレ、洗濯機はその扉の外にありました。そして、そのまた外にもう1枚、扉がありました。しばらくこの扉には気がつかなかったのですが、その扉を閉めると、扉の外側に手書きで「ただいまシェルター使用中です。入らないでね」と書いた紙が貼ってあるのでした。おそらくあまりにも境界線があいまいで、誰かがなにげなく扉をガラッと開けたら中でシャワーを浴びており「キャー!」とかいうようなことが起きたことがあるのではないかと想像されました。とにかく、どこからがシェルターなのかが最後までわからず、10泊しました。

 この教会の建物の構造は意図的なものであるようでした。あと2つ、例を挙げます。この教会には入り口に大きな「軒(のき)」がありました。教会の玄関は奥まっており、その前にベンチなどをならべたスペースがありました。上は教会の2階であり、屋根になっています。果たしてそのスペースは教会の一部か否か。鍵をかける玄関はそのスペースよりも奥であり、そのスペースは玄関の鍵がかかっていても自由に入ることができて、ベンチで休憩できます。しかし、じつはそのスペースは教会の敷地内ですから、教会のうちです。つまり、「どこまでが教会でどこからが外だかわからないようにできている」。いくら考えても、この大きな「軒」が教会の内側なのか外側なのか、わからないのでした。

 もうひとつ、ダメ押しで例を挙げますね。その教会の一部に牧師さんは住んでいました。牧師さん宅(牧師館)はその教会の建物の一部だったのです。しかし、「どこからが牧師館なのか」が判然としませんでした。たとえばその牧師さん宅に至る階段は牧師館の一部か否かが最後までわかりませんでした。

 さて、私はA市に住むA市民です。故郷はB市です。そのC市滞在の少し前に、私はB市の実家にしばらく滞在しました。私はA市で仕事を失ったら、それを機に故郷のB市に帰るかもしれないと思ったからです。そこで、私はいまA市の障害者福祉に頼っていますが、B市の障害者福祉に頼れないかと思って、B市に滞在してB市の障害者福祉をまわったのでした。(私は「自閉症スペクトラム障害」と「注意欠如多動性症候群」と「統合失調症」の診断のくだっている障害者です。もろもろの事情により障害者手帳は未取得ですが、これから取得します。)そして痛感したのが、「障害者福祉という制度は、土地を動くことを前提として作られていない」という厳しい現実でした。暗黙の前提として「A市のつぎはA市」「B市のつぎはB市」というふうに制度が作られているのです。加えてB市はA市よりずっと小さく、車社会であり、車が運転できないととても生活できない町であること(私は「同時に複数のことができない」という障害特性から、運転ができません。車の運転とは「前を見ながら後ろを見ながら左を見る」という典型的なマルチタスクだからです)、そして最低賃金が安い上にほぼ最低賃金の仕事しかないこと、そしてなにより、福祉がまったく手厚くないことです。福祉の手厚さはかなり地方差があることを知ったのもそのころでした。あるB市の障害者福祉をたずねたときのことです。B市役所の障害福祉課でした。「あなたはA市民ですね。B市民ではないですね」のひとことでひたすら追い返そうとする人が出て来ました(そういう福祉はほかにも複数ありました)。私は食い下がって食い下がって、食い下がりました。しかし、その職員はとにかく「あなたはB市民ではない」の一点張りでした。しまいには「時間が…」などと言います。「はやくあきらめて帰れということですね?」と言ったらそのときだけ「いや」と言いましたが、それ以外はひたすら「あなたはB市民ではない」の1点張りでした。たしかにB市役所はB市民でないと助けられない制度になっているのでしょう。しかし、こういうとき「うちでは助けられないけど、こういうところで助けてもらえるかもよ」というのを提示してくれる場合もあります。それで助かったことも何度もあります。ここで私は何を言いたいかと言いますと、もしB市の福祉がB市民しか助けられないとすると、私は住民票はA市民のまま、B市で求職活動をし、就職を決め、住所も決め、実際にB市に引っ越して、住民票をA市からB市に移してB市民になってはじめてB市の福祉に助けてもらえることになるということです。それでは遅いではないですか!つまり「軒」がない。ひとはある日突然、A市民からB市民になるようにできている。「いまはA市民でもB市民でもないその中間くらいで、そのときはA市の福祉とB市の福祉の両方から半々ずつくらい助けてもらえる」というふうに制度はできていないということです。この経験をした少しあとにC市滞在があり、例の教会でのシェルターがどこまでなのかわからないという経験をして、「住民票という制度には『軒』がない」ということに気づかされたわけです。私は「これを機に故郷のB市へ帰る」という選択肢をあきらめたのでした。

 もうひとつ、別の例を挙げます。私が洗礼を受けた(「洗礼を受ける」とはキリスト教の信者になることを意味します)教会には「教友(きょうゆう)」というメンバーシップがありました。文字通り「教会の友達」あるいは「教会が友達」というメンバーシップでした。それは「その教会とは仲がいいけれど、洗礼を受けてキリスト教の信者になるのはちょっとハードルが高いな」と思う人でも気軽になれるものでした。その教会は、何年通っていても「洗礼を受けませんか」とは決して言ってこない教会でしたが、あるとき私はその教会の牧師さんから「今度のイースターに教友になりませんか」とお誘いいただきました。私はその年のイースターにその教会の「教友」になりました。「教友式」というものはなかったように記憶していますが、礼拝の最後に「きょうから教友になる○○さんです」という紹介はあったと思います。洗礼を受けたときと同じように、教友になっても記念品がもらえます。(いまもその記念品は手元にあります。当時、刊行されたばかりの讃美歌集である『讃美歌21』でした。その牧師さんの字で「教友を記念して 2000年イースター ○○教会」と書かれています。)また、教友は教会員名簿がもらえます。教会員名簿の最後に教友の名簿も載っていました。(これは四半世紀くらい前の話です。個人情報保護の時代となった現在、どうなっているのかは知りません。)私のように「洗礼は受けていないが教会とは親しい」という人が教友になるばかりだけでなく、さまざまな事情の人が教友になっていました。他の教会の教会員なのだけれども、なんらかの理由で転入できない人などです。たとえばそのプロテスタント教会の教会員になりたいのだけれど、カトリックの幼児洗礼を受けていて、それで教友になっておられる人も知っています。おそらく他教会員なのだけれどもその教会でオルガンを弾いているオルガニストの教友のかたもいました。そして、私は教友になったその年のクリスマス、つまり教友になって半年後くらいに洗礼を受けて、正式に教会員になりました。それで、よく観察していると、私のように非信者で教友になった人というのは、だいたい半年か1年くらいで洗礼を受けて信者になるのでした。(いま、クリスチャンに耳よりな情報を書きました!この「教友」というシステムは、信者獲得に絶好のメンバーシップ制度かもしれませんよ!)これも「キリスト教に興味はあるけど、洗礼を受けるのはちょっとハードルが高いな」と思う人にぴったりの制度で、まさに「キリスト教の信者であるようなないような」ものであり、一種の「軒」です。これと同じようなメンバーシップ制度を持っている教会を知っています。私もその教会のその会のメンバーです。他教会員ですけど。その教会のそのメンバーのオンライン交流会に、先日はじめて参加しました。Zoomで50人以上が集まりました。私の加わった分科会は5人からなっていました。普通、教会関係の集まりで自己紹介をするときは「自分がどこの教会に所属しているか」「いつ、どこで洗礼を受けたか」等というのを言うものです。ところがその分科会で私のように「私は1996年、20歳のときにキリスト教と出会い、2000年のクリスマスに洗礼を受けました。いまはA市の○○教会の教会員です」というふうに自己紹介する人はほかにいませんでした。皆さんと1時間くらい話す中でわかったのは、皆さん信者ではなく「キリスト教に興味がある」「キリスト教の教えに共感している」「しかし洗礼を受けるのはハードルが高い」と思っておられるかたばかりだったということです。ようするにかつて私が洗礼を受けた教会の「教友」にとても似ているメンバーシップだということがよくわかりました(このようにオンラインで全国にメンバーがいるというのが四半世紀前のほとんどインターネットのない時代との違いですが)。

 とにかく、人はある日から突然、信者になるのではなく、だんだんなるのだ、ということがよくわかるシステムです。「だんだん」という日本語自体「段々」という意味であり、階段のように「段」になっているわけです。C市の教会のシェルターに宿泊して、そのようなことを思いました。「段々」って大切ですね。

 もう少しだけ「軒」の話をいたしますね。私が仕事を休み始まるおととし(2020年)の5月ごろ、私は体調不良でしばしば仕事を休みました。家に帰るのもはばかられ、会社の近くのスーパーに併設のマクドナルドで過ごそうとしました。しかしそのころはコロナの流行り始まりでした。志村けんさんと岡江久美子さんが相次いで亡くなり「これは大変な病気だぞ」という危機感が世間に満ちあふれていました。マクドナルドで過ごそうとしましたが、もはやテイクアウトしかやっていませんでした。しかも、それをそのスーパー内の自販機の前のベンチで食べようにも、ベンチ等がすべて撤去されていたのでした。つまり「軒という軒がなかった」のです。思えばこのころから「軒の大切さ」に気づかされつつあったことになります。皆さん、「軒」は大切ですよ!

 ※このアムールトラの書く話は、「発達障害クリスチャン」の「腹ぺこ」にそっくりではないかと思われたかたもいらっしゃるかもしれませんが当然です。なぜなら「アムールトラ」と「腹ぺこ」は同一人物だからです。だからパクリではありませんよ。コピペはしていませんし、書き下ろしていますが、似たような話が出るのは当然なのです。
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