大人になってから理解した、運動することの良さ3選

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新型コロナウイルスの影響により、在宅での仕事が中心となってきました。通勤の負担がなくなったため仕事しやすくもなりましたが、同時に運動不足がより進行した方も多いでしょう。

そうしたこともあり、運動をしようと思っている人が増えています。ですが「いい年なのに運動かぁ」と思っている方もまた少なくありません。

そこで今回は大人になってからわかる運動の良さについてお話します。


大人になってからわかる運動の良さ、その1、純粋に運動することが楽しい

「運動は楽しい」。大人になるとそうしたことを実感することがあります。
定期的に運動している方であれば、有働していることをほかの人に話したときに「なんでそんなキツイことするの?」といわれたことはないでしょうか?

運動にはキツイことがつきものです。特に運動し始めの時は体ができていないのでなおさらでしょう。ですがあくまでも一過性であり、それを過ぎればキツイと思うことはほとんどいません。

しかしここで気になることがあります。それがキツイと質問されたこと。なぜ彼らの頭の中には「運動=キツイ」という図式が成り立っているのでしょうか?

過去の運動、部活について思い浮かべればわかるはずです。大体部活ですることってキツくありませんでしたか?

そこから多くの人が「運動=練習=キツイ」というイメージが定着しているのだと考えられます。

しかも部活は「勝つ」ことを要求され、練習や運動を「やらされている」意識が強いです。そうしたことがキツイという意識をさらに強くします。

しかもキツイからといって、やってきたことが報われるとは限りません。(本当に申し訳ないのですが)部活で猛練習したにもかかわらず、最後の大会では1回戦ないし2回戦であっさり敗退したことはないでしょうか?

相手も猛練習したので仕方はないのですが「結果があれじゃ、猛練習してまで頑張ってきた意味はあるのだろうか?」と考えた方もいるはずです。

正直結果がわかっていたら、適当に手を抜いて楽しんでいたことも。

ですが大人になってからの運動は違います。
大人になってからの運動は「やらされる」ことはありません。一応「ひどい生活習慣病で10キロ以上痩せないと死ぬ」といわれた方は別ですが、そうした方を除けば、運動を強要されることはないはずです。

つまり大人の運動は「自分の意志でのみ」行います。正直これってすごく楽しいです。理由はうまく語れないのですが。

ただ意思がきっかけなので気が乗らないこともあります。ですがそうしたときでも少しやってみたら徐々にするようになって、気が付いたらいつも通り、なんてことも少なくありません。

別の視点で見ると「勝ち」は要求されないのも大人の運動の特徴です。学生時代に行っていた部活では、ほとんどのところで勝つことを強く要求されます。負けたらそこで終わりなので仕方はないのですが。

大人の運動に勝つことはそれほど要求されません。大会などがあれば順位などで勝ち負けが付いたりもしますが、気にすることはほとんどないでしょう。

勝ち負けは他人との兼ね合いによって生まれるもの、言い換えれば自分だけではどうにもなりません。自分でどうにもならないものを気にするのはキツイです。

そうした勝ち負けを気にしないで済むのも、大人の運動の良いところです。


大人になってからわかる運動の良さ、その2、能動的な「感動」が得られる

能動的な感動が得られるのも大人の運動の良いところです。
運動には「受動的な感動」と「能動的な感動」があるのはご存じでしょうか?

まずは受動的な感動について説明します。
「受動的な感動」とは運動する人を見て感動することです。野球やサッカーの観戦をして感動することが当てはまります。

たいして「能動的な感動」とは自分が運動することで得られる感動です。受動的な感動が「観戦者としての感動」であるならば、こちらは「選手としての感動」といっていいでしょう。

受動的であっても能動的であっても感動であることには変わりないのですが、内容は大きく違います。

受動的な感動は一言でいうと「与えられる感動」です。ほかの人が頑張った、あるいは結果を出したことを感動として受け取ります。

受動的な感動はそれ自体悪いことではないのですが、突然飽きることがあります。ある日突然今まで見ていたことが作られた演出(ショー)だということに気づいてしまい、以前のように楽しめなくなるのです。

少し話はそれますがプロスポーツに対して「ショー化すべきでない」という意見を聞きます。ですがプロは感動を与えることでお金をもらうというビジネスモデルになっているため、ある程度ショー化や演出というのは仕方ありません。感動がなかったら選手たちはお金がもらえず、生活できなくなりますから。

たいして能動的な感動は「感動を自分で作る」ことになるため飽きることがな ありません。定期的に走っている人がマラソンの大会に出たとしましょう。順位にかかわらず走り切ったことは、その人自身の感動になります。むしろ大会に出ずとも日々の運動の中ですら感動はあります。

そうした自分が自分のために生み出した感動は、飽きるでしょうか。
答えはNo。感動に至るまでのバックボーンを自分自身がよく知っているからです。バックボーンが厚ければ、そこに多くの出来事が込められていれば感動も人一倍になります。

ただし能動的な感動は他人と共有できないことには注意してください。バックボーンを知るからこその感動であり、そうしたことを知らないと感動のしようがありませんので。


大人になってからわかる運動の良さ、その3、いろいろなジャンルの運動に挑める

いろいろなジャンルの運動に挑戦できるのが大人になってからの運動の強みです。
「運動=1つの種目に集中する」という価値観が今も根強いが、大人がする運動はそうとは限りません。というより様々なことにチャレンジできます。

実際に水泳と筋トレ、ランニングとサイクリングといった複数の種目を並行している人は身近にいませんか?そういうことです。

確かにはじめは1種目だけに集中したほうがいいかもしれません。ですがその運動に慣れてきたらいろいろなことに挑んでみてはいかがでしょうか?もう誰もあなたのこと制限しないのですから。

ちなみに複数の運動をおこなうことのメリットは「体をより効率よく鍛えられる」ことです。

例えばあなたがジョギングをしているとしましょう。有酸素運動であるために痩せることができ、かつ下半身を鍛えられるメリットがあります。ですが走るだけなので上半身が鍛えられず、やりすぎると膝や足首を痛めるといったデメリットも発生します。

ではジョギングだけでなく水泳を加えてみたらどうなるでしょうか?
水泳は上半身を使って泳ぐので(バタ足をする目的は足を浮かせるためであり、推進力はほとんどない得られません。)、ジョギングでは鍛えられなかった上半身が鍛えられるというメリットがあります。

また水の浮力を使用するため、ひざや足首など下半身にダメージを与えることもありません。こうしたことからわかるように、ジョギングと水泳を両立できれば上半身と下半身をバランスよく鍛えられます。

ところで「運動=1つの種目に集中する」という意識はどうして生まれたのでしょうか?別に「複数の運動をしてはいけない」という決まりはないはずです。

1つの種目への集中を要求されるのも。部活の影響だと思われます。
漫画の世界では野球部やサッカー部の助っ人をする運動神経抜群な人が登場することもあるが、現実にそんな人はいません。大体は1つの部活に入ったらほかのことはしないことになります。(ほかの部への助っ人をこなせるぐらいの運動能力がある人ならなおさら。)

これは部活の目的と合致するのが理由です。部活では「皆で協力して勝利を使う」という目的で皆日々練習しています。皆で協力するには、全員が同じ方向を向いていないといけません。

もしここでほかの種目のトレーニングをしている人がいたらどうなるでしょうか。その人だけは全く違う方向を向くことがあり、全員が同じ方向へは向けなくなります。

そのため部活では1度所属したらその部のことだけ考えることが要求され、知らず知らずのうちに「運動=1つの種目に集中する」という考えを植え付けられます。

ですが大人になったあなたにたいして、1つの種目に強制させる人は誰もいません。せいぜいいるとしたらあなた自身です。ですからどんなことに挑戦しても構いません。

ですので運動するなら自分が興味を持ったものにどんどん挑戦してみてはいかがでしょうか?

まとめ

運動とは若い人だけがするものではありません。大人になったあなたが今からでも十分に楽しむ権利があります。しかも今から行うことは若いときに感じなかった喜びに遭遇することがあります。

あなたもさっそく今日から運動してみてはいかがでしょうか?



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