部活が勝利至上主義に陥る2つの理由

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部活に対して「たった一つの優勝を目指して鎬を削る」というイメージを持つ人は多いです。確かに一つの目標を目指して努力するのは素晴らしいですが、「優勝することや勝つことにこだわりすぎている」と思ったことはないでしょうか?
勝つことが何よりも優先することを勝利至上主義といいますが、そうした考えに陥っている部活は意外と多かったりします。なぜ部活は勝利至上主義に陥るのでしょうか。理由を考えてみました。

勝利と敗北が覆らないから

部活というよりスポーツ全般に言えることですが、いずれの競技も「勝利と敗北が明確で覆らない」です。実はそうした勝利と敗北が明確かつ覆らない点が勝利至上主義を生み出す要因となっています。

「会社も勝利と敗北が明確なのでは?」と考える方もいるでしょう。ですが社会に出ると勝利と敗北の境界は意外とあいまいだったり簡単に覆ったりします。

ここではスルガ銀行を例にとってみましょう。地方銀行ながらメガバンクに迫る勢いで業績を伸ばしていたスルガ銀行は、優れた銀行として評価されていました。

ですが不正融資をはじめ社内でパワハラなどのが横行していたことから、評価は一転。現在は「良くない会社」というレッテルを張られています。

「昔は優れていたのだから、問題はあったとしても現在も優れている」と考える人がいるでしょうか?まずいないはずです。優良とみなされていた時期も不正やパワハラによって成り立っていたことが想像できるので、「昔からよくなかった」と今はみなされています。

このように社会を例にみると意外と勝利と敗北が逆転したりします。

ところが部活はそうした勝利と敗北が逆転することはありません。スポーツとして勝利や敗北の記録が変わらないのはもちろんですが、優れている部活という評価も意外と変わらなかったりします。

とあるバスケットボール部で、キャプテンが暴力的な指導が原因となって自殺したという事件がありました。そうした事件があったときに「あの部活の成績は、暴力的な指導による恐怖指導があったからできた、まがい物だ」といった人はいるでしょうか?そう考える人はまずいません。

会社の場合は不正活動が発覚すると、過去の評判も覆ってしまうのですが、部活に関しては不祥事が起きても過去の評判や栄光というのは覆りません。(ただし活動の自粛を強制されたり、入部者が減ったりなどのペナルティはあるかと思います。)

勝利が敗北にならないとわかると、人は何が何でも処理を求めようとします。そうした思想が結果として勝利至上主義を生み出すようになります。

余談ですが、某バスケ漫画に「『負けたことがある』というのがいつか大きな財産になる」という言葉があります。

通常であれば名言といえるのですが、少し穿った見方をすると「負けは何の価値もない、ことが一般的だ」と捉えることもできます。(負けが、いずれ大きな財産になることが、多くの人に共通する認識であれば、こうした発言はしませんから。)

そうしたセリフからも、スポーツにおける敗北の扱れ方の一端が伺えます。

短期的な視点になってしまうから

「短期的な視点になってしまう」ことも勝利至上主義に陥る要因です。部活は中学、高校と別れておりそれぞれの期間は3年しかありません。言い換えれば「3年以内に結果を出す」ことが求められます。

3年という短い期間で結果が求められる時に効果を発揮するのが「恐怖指導」。いわゆる罵声や体罰をもってして選手をしつけるというものです。

やられた相手に恐怖心を植え付けることでプレーの質が向上するという面もあるでしょう。ですがこうした方法は長続きしません。恐怖はストレスを生み出す要因なので、そうした指導を受け続けると心の中にはストレスがたまり続けるためです。

「プロになれる才能があったのにあっさりと競技をやめてしまった」という人を見たことはないでしょうか。そうした人はこうした恐怖指導の弊害に合っていた可能性があります。

体罰や罵声の中でプレーする人はそうしたことになれたと考えていることがありますが、心の奥底ではわだかたまりができて次第に大きくなっていきます。

部活の引退などでそうしたわだかたまりが一気に爆発。結果として競技から離れることは意外と多かったりします。

才能ある子がいなくなるので競技全体でいえば損失ですが、部活に限定すれば一切の損失はありません。勝利することだけで評価されるため、所属していた選手がどういう道を選ぶのか、までは誰も見ていないからです。

同時に選手のけがについても考えなければいけません。有望な選手が部活内でけがをした場合、その原因が部活の活動にあるかどうかを考えるでしょうか?

一概に部活のせいとは言えませんが、部活の厳しすぎる練習がけがを誘発したことはあるはずです。そうした選手のけがについても見なければいけないのですが、ほとんどの部活では無視されています。

「部活で勝つだけでよく、選手のその後は考えない」という考えが部活にはびこっており、そうした考えが勝利至上主義を後押ししています。

まとめ

勝利至上主義に陥っている部活は多くあります。ですがそうしたところは勝利が求められるなど環境によるところが多かったりします。

勝利至上主義に疑問を持ち、その流れを変える動きもありますが、返るのはそう簡単ではありません。甲子園の盛り上がりなどが良いで例です。
現在の甲子園、ないし高校野球は「選手に猛練習を課して甲子園を目指す」ことが一般的です。そうした背景や試合でのドラマを観客が求めています。

勝利至上主義をやめて無理のないペースで選手に練習を課したら、自分たちの求めるドラマが失われることを観客は危惧します。そのため勝利至上主義は観客から反対意見が多く出ることになるでしょう。

とはいえ自分や、自分の子供たちをそうした勝利至上主義で消耗させるわけにはいきません。現状であっても部活から離れるなどの対策はとれますので、自分や子供を守るため適切な選択を行うようにしてください。

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