これは私が大学2年の後期の頃の話である。
自身を取り巻くあらゆる環境が原因で、鬱病・不眠症に陥ってしまった。
初期は薬を飲んでも寝られない、逆に薬が効きすぎておかしな行動をとってしまい、かなり母を困惑させてしまった。
どうにかしてベッドの上で大人しくいられないだろうか。
そう考える中で出会えたのが、『のだめカンタービレ』(原作漫画)である。
『のだめカンタービレ』のことは、ドラマを見ていたので知っていた。
いや、知っていたどころではなく、大好きだった。
小学校の頃、ヤマハでのだめのエンディング曲であり、ガーシュウィン作曲の『ラプソディー・イン・ブルー』のイントロを弾かせてもらえたのが、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。そんな記憶が根付いている。
しかし、その当時は原作というものを知らずに見ていた。なんと勿体無い。いや、その当時に見たとしても『のだめカンタービレ』の片鱗もわからなかったに違いない。
それほどまでに深く、何度読んでも新鮮な気持ちになれるのが原作の『のだめカンタービレ』だった。
私の闘病期間は、『のだめカンタービレ』の奥深さに救われたのである。
なお、ドラマののだめが再放送された今、またのだめの世界に没入しようとしている。
これはそのためのブログである。お付き合い願いたい。
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普段我々は、漫画をどのような視点で見ているのだろう。
・絵が素敵だから
・内容が面白いから
・感情移入できるから
・熱いから
etc.
いくらでも観点はあり、そして全てが正解である。
だがしかし、近年世に出る漫画の作品は、たったひとつの観点からみるだけでは大変惜しいとは思わないだろうか。
漫画を読む人のほとんどは、自分の好んだ作品を繰り返し繰り返し読むに違いない。
それは何故か。
自覚症状があるないに関わらず、多角的にその作品に触れたいと思っているからではないだろうか。
そして多くの人が何度も繰り返し読む作品こそ、本物の芸術としての”漫画”である。
私は『のだめカンタービレ』はそれに値いすると考える。
この先はまた次章に続くが、是非とも「のだめカンタービレ」を読みながら、もしくは読んでから、このブログを閲覧してもらいたい。
ネタバレが平気な方はこちらを読んでからでもオススメする。
ちなみに私はかなり気分屋なので、投稿頻度がどうなるかはわからない。
しかし、少しでも『のだめカンタービレ』の素晴らしさを伝えるためにも、また漫画のさらなる読み方を伝えるためにも、継続して書いていきたい。
どうぞよしなに。
以上
graphokulogist