自身の過酷な運命をアイデンティティにしている人も世の中にはいます。SNSではそういう話も目立ってみえます。
対して自分は平々凡々で、そんな劇的な人生を送っていない。何かを打ち出していくには、インパクトがないと思ってしまうこともあるでしょう。
また、「あなたって苦労してなさそうだよね」なんて言われたり。
僕は大きな不幸が無いことはすごいことだと思います。
例えるなら、大きな不幸に遭うというのは、人生の分かれ道で、崖の道を選び続けてしまって、結果、崖から落ちるようなものです。もちろんそれは自分で招いた不幸に限定されます。
例えば、人に裏切られたという話は、「あなたに人の見る目がなかっただけでしょう」ということに尽きます。
何もなかった人生は、ちゃんと崖のある道を把握して、軌道修正していたからですから。嗅覚に優れている証拠です。
もちろん、もっとリスクを取って挑戦する道も選んでもいいですけどね。
魂格が高ければ、些細な事からたくさんの物事を学ぶことができますから、大きな出来事がそもそもいらなくなっていきます。
逆に言えば、相当痛い思いをしなければ学べない状態の魂は、魂に応じた出来事が用意されるだけです。
とはいえ、自分を責めないでほしいです。その出来事があなたに必要だったということでしょうから。
大きな出来事だと思わなければいいのです。裏切られたところで、だから?と開き直ればいいのです。
不幸自慢の裏側に、運命の被害者に自分を置いていることが一番の問題です。