「最近感動したこと」という作文で1文字も書けなかった話【5/23】

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小学生のころ、私は作文を書くのが一番苦手でした。

なにせ決まった答えがあるものならともかく、作文は決まった答えがなく、自分の言葉で書かないといけなかったからですね。
まだ小学生の私は自分の気持ちを表現するのが苦手だったので作文は難題だった訳です。
ただ、当時の私は空想にふけるのが好きでよく物語を作るのは得意だったんです。
なのでその要領で作文を書くことは出来たんですね。

なんせ空想は作り事なのでいくらでも書く内容が湧いてくるわけですからね。

要はウソばっか書いてたわけです。(笑)

しかし、ある日作文のタイトルが「最近感動したこと」というものに遭遇した時、それまで進んだ筆の手が噓のように止まったんです。
これは比喩ではなく本当に止まったんです。一文字も書けませんでした。

いつものお得意な空想でも何も浮かんでこなかったんです。

これはつまり私の中に「感動したこと」という要素がないということを表しているんですね。

これを知って当時の私はかなり落ち込みました。
なにせ自分は今までに感動もしたことのない心の無い生物なのだと思い込んでしまったからです。
これは多感の時期の私には悪循環を生みました。

作文は書けず、感動も出来ない、した覚えもない。
自分はなんて薄情な奴なのだろう、と。

子どもの時ってやたらマイナスなことを考えがちになりませんでした?私はそういうタイプでした。
「悪い方にばかり考えるな」「前向きに生きていけ」とか言われた日なんてさらに酷かったですね。
「生きていれば人生はいいことが起きる」とか言える人ってそれは自分に良いことがあったからこそ言えるわけで今までいいことがなかった人はその感覚がわからないんですよ。
あなたは裕福そうでない人から「この方法で稼げますよ」と言われて信じますか?

そのため結局は私は私自身をさらに追い込む形となってしまったんですね。

負の思考はエスカレートするばかりで次第に「自分はいつか他人にひどいことをする最低な奴になるんじゃないか」とも思うようになってましたね。
思い込みが拍車をかけて消えてなくなりたいとも考えるようになりましたね。

あの時の私はそれほどまでに思い詰めてたんですよ。

じゃあ、なんで当時はそこまでの考えに至ったのに今はこうしてブログを書いてるのかって言われたら偶然のめぐりあわせと当時の周りの人たちに支えられたからです。
私は生まれた環境が恵まれず、自分のしたいと思ったことは抑制され、自分の考えは否定され、自分の意見など耳も貸してくれないような家庭で育ちました。
このねじ曲がったネガティブ思考は生まれるべくして生まれたわけなんですね。

ですが、私の周りの人たちは私のしたいことに手を貸してくれたり、私の考えを支持してくれたり、私の意見を尊重してくれてたんです。

はっきり言います。当時彼らがいなかったら今私はここにいません

交友関係も恵まれていて、今でも連絡を取る友達もいます。
彼らは今でも私の心の支えになってます。

彼らと過ごす時間は私にとってかけがえのないもので、当時の負のスパイラルに囚われていた私の心はその時だけ解き放たれていました。
そんな時にふと当時の私はその時間を「楽しい」と感じることに気づきました。
以前から一緒に遊ぶことに「楽しい」と感じることはあれど、私はそれを意識したことはそれまでなかったんです。
人は当たり前のように与えられるものに対してはそのありがたみを忘れてしまいます。
それと同じでいつも「楽しい」と感じていた私はそれを意識して捉えていなかったんです。

そしてこの気づきは私を苦しめていた鎖から解放するきっかけにもなりました。

これと同じで私は「感動」もしてるんじゃないか?

そう考えたんです。

つまり、私は今まで「感動」をしたことがなかったのではなく、常に「感動」をしているのではと。
何かを特別に感じるのではなく、私はすべてのことに心を動かされているのではと。
私は何事も無関心な薄情な奴ではなく、あらゆることに関心、興味がある好奇心旺盛なやつなんじゃないかと。

それは紛れもなく私に「心」があることを表していました。

私は友達のおかげで自分が「心」ある人間だと気づけたのです。

もし今の私が「最近感動したこと」という題材の作文を書くとしたら

「感動した」ということに関して特筆すべきことはありません。なぜなら私にとって「感動」とは特別なものではなく、日常の中でありふれたものであるからです

と書きますね。

この文はもし同じように書けない人がいたらぜひ使ってください。

結局のところ「心」がない人間はいません。
ただ、それが近すぎて見えないだけだと思います。

「心」という見えないものを見るには何か別のものでそれを確認する他ないのです。
私は自分に「心」があることを友達を通して気づくことが出来ました。

その時その瞬間、「楽しい」と思えた時が最も「心」が動いている時だと私は思います。

皆さんも「楽しい」と感じることがあればそれを大事にしてくださいね。
そこにはきっと自分が何者かを映す鏡となってくれるものがあるはずですから。

それでは今回はここまで。
また次回のお会いしましょう。
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