40代後半となり、そろそろ〝実家どうする問題”が、よりリアルになってきました。
私の親は積極的でありがたいのですが、〝物への執着”でなかなか腰を上げてくれない親も多いだろうなぁと推測します。
この間母親から、断捨離を兼ねて私物を処分してほしいと頼まれて、リサイクルショップへ持って行ったのですが。
その時の会話で、あるネックレスについて思わぬ裏話が出てきて、とても驚き大笑いしました。
それは、オシャレが苦手な母親が持っていた、数少ないアクセサリーの一つで、プラチナのネックレスでした。
比較的若い頃に義母から買ってもらったというので、母とあまり関係の良くなかった、あのおばあちゃんからのプレゼントだったとは!と驚き、着用しているのを殆ど見た覚えがないが何故か、と聞いたところ。
一緒にお店に行き好みのデザインを選んだが、何故かその場では持ち帰れず入荷を待っていたところ、もう在庫はないのでこちらを、と別デザインの商品が一方的に送られてきたとのこと。
ええええ…!!在庫が調達できなければ、100歩譲って全額返金でしょうよ…と思い、田舎のお店恐るべしと思いました〈笑)
当時は今のようにお店も多くなく、メガネ屋さん兼アクセサリーショップというお店で、まぁ都会のようにいかないのは理解できるとしても、これはなかなかのエピソード。
他のお店に買いに行こうにも、そもそも選択肢が少ないので、「何か欲しいんでしょ?」「じゃあ、これしかないですね」とでも言うように、お店の方が強かったんでしょうね。
それにしても、よりによって義母からの贈りもの、しかも滅多にない機会での大チョンボ…。
同居で毎日一緒な訳ですし、母が着用しないのを見ていた義母は、あまり良い気分がしなかっただろうな、と想像しました。
嫁姑関係に小さな、いや年を経るごとに大きくなったに違いないヒビを入れたであろう責任は重くないか…、なんて考えているうちに、あれ?なんかこれに似た話、どこかで聞いたな…とふと思い、記憶を辿ってみると。
そうだ、祖母が持っていた日本人形だと思い至りました。ガラスケースに入った可愛いその人形には、〝汐汲み”というタイトルが付けられており、バケツのようなものを担いでいました。
祖母に、この人形可愛いねと言うと、実は祖母が欲しかったのは、〝藤娘”だったと言います。
抗議したが「これを注文したはずだ」の一点張りで、交換してもらえなかったとのこと。結構値段もしたでしょうに、こんなことしょっちゅうあったんかいな、と苦笑い。
この話を思い出して、ああ、買い物一つ一つにも、ドラマがあるもんだよね、と改めて思いました。
持ち物それぞれに、懐かしい思い出から特別な思い入れ、引きずった情、手放せない意地、といった複雑な思いを持っていると思います。
ある人にはただのガラクタにしか見えないものが、当人にはとても大切で手放せないものの場合もある。
不要なものだし、と本人も処分したいと思っているのに、何故かまたしまい込んでしまう、というものも、きっとありますよね。
断捨離でトラブルになりがちなのは、周りの人の物差しで、邪魔だから、危ないから、ただのゴミだからと一方的に処分されることが大きいのでは、と思いました。
誰でも気持ちの整理には時間がかかる。さらに、長年持ち続けてどこか自分の一部になったものを手放す決断には、相当のエネルギーも必要です。
失恋でも、相手への気持ちを薄めて手放せるまで時間がかかるものですもんね。いろんなことは繋がっている気がします。
実家処分問題は、免許返納やゴミ屋敷問題にも通じるものがあり、まずはいろんな念を〝成仏”させるためのお手伝いをする、というステップが必要なのでは、と感じます。
時間がかかることを覚悟する。無駄なものはさっさと捨てなさいと無理やり取り上げることは、〝自分の時間を優先させている”んだよなぁと思います。
相手のために時間を使うという気持ちで、思い出を聞き出して一緒に楽しむ姿勢を持つことで、相手の心が開きやすくなるのでは、と思っています。