もうひとつの間違い

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「遺憾に思う・・・」

今までこの言葉を何回聞いたことか

意味としては、「残念に思う」。自分の感情を表している。謝罪の場面で使われたり、相手を非難する場合にも使われる。

受け取る側として考えてみた。

謝罪なら「私は間違えました。申し訳ありません」であるし、批判や非難なら「あの人は間違った行動をした」と言った方が分かりやすい。

私たちも「遺憾に思う」と言われて何となくわかった気になっていた。
でも実は全然わかっていない。だから感情も動かない。


そんな時、ある新聞記事を見つけた。

2001年ハワイ沖で、愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が米原子力潜水艦グリーンビルに衝突され97人が死亡した。艦長だったスコット・ワドル氏が遺族らに向けた書簡を公表した。事故から20年を迎えた2月9日のことだ。

「事故の責任は自分一人にある」と、謝罪の言葉を記している。事故後、米海軍や弁護士が作成した声明に「謝罪する」ではなく「遺憾に思う」という文言が用いられたことに触れ、「心の中では誤りだと分かっていた。最終的に『謝罪する。申し訳ない』と言わないというもうひとつの間違いを犯した」と後悔の念を示した。
(2012.2.10 中日新聞 より抜粋)

事故というひとつの間違いを犯し、さらにもうひとつの間違いを犯した。

これは、この艦長だけの問題じゃない。

間違いを絶対許さない社会になっている。
だから、間違いを隠すようになり言葉も巧みに言い換える。

オリンピックの森さんの発言もそう思う。
「お詫びを申し上げる」と言ったが、「申し訳ない」と頭を下げていなかった。客観的に謝罪した風景を作り上げても、主観的に謝っていない。
私にはそんな風に見えた。

以前ブログの中で、「自分は間違うかもしれない」を書いた。


私は自信を持って決めながら、同時に「間違うこともある」と思っている。
だから、間違ったら謝って反省して直すしかない。

私も60歳を超えた。
間違いをたくさんしてきた。
でも周りの人はそんな私を赦してくれた(・・・と思う)
だから反省して新しい行動を起こすことができた。

「もうひとつの間違い」をしないためには勇気がいる。
自分の今までを否定しなければいけないこともある。

でも、たかが今までの自分なんて・・・否定すればいいとも思っている。
もう一度始めればいいと思っている。

自分はいつでも始めることができると思ってる。
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