言葉が上澄みになっている

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コラム
言葉は変わるものだという。
もう、花金もイタメシも通用しない。
新しい言葉の発信源は会話からSNSになっている。

「うれしみ」「つらみ」に続いて、「わかりみ」まで登場した。
知らないと、オヤジ認定されるそうだ。
人に言われなくても、オヤジであることは明白だ。

よさみ=良さそう
やばみ=やばい
わかりみがすごい=すごくよくわかる
つらみ=なんだかつらい
可愛らしく泣いたり、悲しんでいる様子は、「ぴえん。」というらしい。

「そんな言葉づかいで・・・」と否定するつもりもない。

でも、プラスの「歓喜」はいいとしても、悲哀、辛い、恨みなど
そんな激しいマイナス感情はどう表現するんだろう。

時代が変わっても、辛さを抱きしめる「辛抱」が無くなったわけではない。
川底に淀む汚泥のような「恨み」が無くなったわけではない。

SNSで運ばれる流行り言葉は何処までも上澄み言葉のようだ。
汚泥のような恨み言葉は何処にいったのか。

胸の奥に隠しているのなら、それはそれでいいと思う。
八つ当たりできる誰かがいるのなら安心だ。
でも、辛抱も恨みもあきらめて始めから持たないとしたら、何だかとても薄い人生になるような気がする。

喜びも辛さも悲しみも、恨みも心の底から抱いて
泣いて笑って自分がわかる。

これは60年生きて言えることだ。

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