人生の余白を感じてみよう

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コラム
読み終わって感動した小説を人に伝える時、「こんな恋の話です」とか、「世にも悲惨な事件の話です」とか、まずは物語のあらすじを話さなければ何ともならない。

でも本当に伝えたいことは別にある。
ストーリーの中に埋め込まれた登場人物の感情だ。
その場面で描かれた感情を伝えたかった。

誰かを好きになった、でも好きになるまでには行ったり来たりの感情が流れていた。小説はそれを文字で巧みに表現する。読者は主人公の恋の流れとその時の感情を疑似体験している。でもその感情を人に伝えることはなかなかむずかしい。

自分の恋愛と重なるものがあれば、なおさら照れくさくて説明できない。
だから「面白いからとにかく読んでみて」とつき放す。


文字を綴ることは、人生の余白を埋めることに似ていると思う。
いつ生まれて、どこの学校に行って、どんな仕事をした。そして誰かに出会って恋をして、結婚という形を経由して子供が生まれ、やがて人生を終えていく。

普通の人生を語るにはこれで十分だ。小説になるような特別な事件や波瀾万丈も必要ない。

でもそこには、「人生の余白」がある。
平坦な人生の中でも感激したり、喜んだり、時には悲しむこともある。
その余白を文字で埋めていく。

埋められた文字から、色や香り、聞こえてくる音を感じ取る。
そんな余白を埋めるような香しい文章を書いてみたい。

それでも埋められない余白がある。息継ぎに必要な余白だ。
ぎちぎちに詰まった文章は読みづらい。人生も余白なしでは疲れてしまう。
何も存在しない余白を置いておくのもいいもんだ。


この文章の様に、ぎざぎざの余白が綴った文章の中で文字の塊を美しく見せていないか。

人生の余白を感じてみよう。余白の中に甘い感傷を詰めてみよう。
そして時には、余白を残して休んでみよう。



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