終わったことはすべてよし

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コラム
六十歳(還暦とはいわない)を過ぎたら決めていたことがある。
「それまでの八割で生きる」

仕事を8割に減らして、残りの2割は趣味の時間に当てる。
そう思っていた。
よく本で紹介されてるようなお洒落な老後を想定していた。


しかし事件は還暦前に起きた。
がんを発病し、5年と決めた再発・転移猶予期間に心筋梗塞も発病した。
六十歳からの老後計画が見事に崩れた。

「もう、ダメだ」、「もう終わり」とあきらめ、六十歳からの未来絵が頭の中から消え始めていた。

でも不思議と冷静に受け入れていた。
「それもありかな」と他人ごとのように、そこに「無念」という言葉はなかった。


そして生き残った。

だから今、こんな言葉があたまに浮かんでいる。
「終わったことはすべてよし。」

これから先、何かやりたいことが思いつけばやればいい。思いつかなきゃそれでいい。軽やかに生きていこう。

それでもひとは不思議だ。
誰かに頼まれたわけでもないのに、勝手に何かしたくなる。

そしてこれが私の今の1週間だ。

・毎日なにかしら文章を書く
・果樹園でのアルバイト
・週1でのサックスレッスン
・週1での市民農園での農作業
・週1でのヨガレッスン

「何もなくていい」といいながら、勝手に何かを始めてる。
そんな自分が好きでもある。

その中で、「思いを言葉にしたい。文字に残したい」という思いは私の生への柱だ。そのために、Amebaブログを書き、ココナラやnote、FacebookやInstagramを使っている。もちろん、その裏には「人に認められたい」という功名心が残っている。「これがお金になれば」という金銭欲も明らかだ。

それでもいい。
そして「これからまたなにか始まるかも?」と、胸のうちでニヤニヤしている。たとえそれが中途半端で途切れても、それでいい。

「苦労はしたけど不幸ではなかった」 と言いたい。
「楽しかった~」と言いたい。

だから、言葉にして叫びたい。
「終わったことはすべてよし」 と。

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