「そんなの見なければいい」は危険だと思う

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誰かを攻撃して、その人が弱ったり反省して良くなるとつまらなくなる。
だから、攻撃の対象がいなくなれば次を探す。

こんな場面が毎日繰り返されている。

さかなクンが言っていた。
広い海の中にいればそんなことないのに、水槽の中に入った魚は一匹を見つけていじめるという。その魚を水槽の外に出せば、中にいる別の魚がいじめられるという。

SNSでの罵倒は文字から始まった。そして今ではYouTubeでの言葉の攻撃。
ユーチューバーは、動画の中で相手のことを、「バカ」とか「アホ」と繰り返す。そしてマスコミは、その幼稚な言葉の応酬を炎上という言葉でまとめている。新しい言葉の誕生は、その「炎上」を認めているということだ。

ユーチューバーだけでなく、政治家までがTwitterで幼稚な言葉を繰り返している。読んでるだけで嫌悪感が湧いてくる。

このままでいいんだろうか?
「炎上」を受け入れていいんだろうか?

他人は、「そんなの見なければいい」と言う。

でも・・・

「そんなの見なければいい」は、危険だと思う。

それは、世の中に起きた事実に蓋をしてしまうことだ。蓋をして何も無かったことにしてしまう。でもいつかは自分に降りかかるかもしれない。


すぐに結論は出ない。でも蓋をする前に考えてみたい。

そして、こんなことも頭の片隅に置いておきたい。

「何故嫌いなもの、イヤなものを見てしまうのか」

誰でも負に目を向けてしまう。それは自分の中にある負の部分に目を向けず、誤魔化しているだけかも。外にある負を見ている間、自分の心にある負の存在を忘れることができる。自分を守る無意識な手段かもしれない。
だから大きな事件が起きたり災害が起きると、ある意味興奮する。そして、それは自分には振りかからないと思っている。人は何処までも自分に都合よくできている。



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