春夏秋冬、そして春

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コラム
さくらの開花便りが届いた。
やっと春か、もう春になったのか、春だな~と迎える言葉もさまざまだ。

それでも春は順調に来てくれない。「花冷え」の言葉通りすこし冷えたり、またぽかぽかと温かさを増してくる。季節は一歩進んで半歩さがり、徐々徐々ににやってくる。ストーブの灯油を買い足そうか、迷いながら。

「三月〇日から春です」と宣言できればスッキリする。でもそれでは味気ない。そしてすぐに暑い夏になる。さらに季節は進んで秋になり、また冬がやって来る。

季節の変わり目は、行ったり来たりの緩やかな進みがいい。「いつの間にか春になっていた」がいい。
でも世の中は「いつの間にか変わっていた」では困る。いつの間にか春になり夏が来るのはいいが、知らぬ間に争いが起こり、気づいたら春や夏には想像もしていなかった激寒の冬のような混乱の世になるのは困る。

それでも悪い変化は徐々に徐々に、隠れるよう無口にやって来る。
無邪気な天使は大胆だが、悪魔は繊細に忍び寄る。
だから気づけない。

そして、「まさかそんな極寒の冬にはならないだろう」と夏に否定できても、冬には受け入れてしまう。行ったり来たり、少しずつの変化は私たちを麻痺させるからだ。


世界が徐々にきな臭くなっている。
「最悪そんなことは起きないだろう」という「最悪」は、いま想像できる「最悪」で、そのときになったら、さらに上の「最悪」を用意して受け入れざるをえない。暑い夏に極寒の冬を想像できないのと同じだ。悪魔が足音を消して忍び寄っている。そんな気がしてならない。

それでもこんなことを想像したくなる。
春夏秋冬という四季は、実は四つで終わらない。かならず次の春に続く。
ビバルディの協奏曲「四季」第4番冬、この中にも次の春を匂わせる旋律がある。たとえ冬の時代になっても、また春が来るのを信じたい。

春夏秋冬、そして春を信じたい。

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