小説『天命の掟RaTG13(仮題)〜〜八ヶ鬼岳の遠望〜〜』003

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                         飯山満とらむ

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 土曜日の昼下がりだからなのか、地質学研究室の人影には新一年生の一名と来年には修業を予定している笹木万平の二人があるのみで、室内は閑散として静まり返っている。自席に座った笹木万平は椅子の背もたれに踏ん反るような格好で支倉鉱業株式会社の会社紹介資料を読んでいた。支倉鉱業では地質学研究者一名の採用を予定している模様で、笹木万平の所属する研究室にもその採用求人に関する情報が伝わっていたのである。最近の支倉鉱業の金鉱脈発掘による業績躍進には世間の注目度も高く、万平も就職先として支倉鉱業をも視野に入れ、これからの自身の進路について模索しているのだった。

『静かな研究室に残ってのポスドクからの学者人生を進むか・・、支倉鉱業に就職して金鉱脈ハンターとしてゴールドを求めて彷徨う人生へ向かうか・・』

と会社求職情報を読みながら、万平は黄金色に囲まれた風景を脳裏に想い巡らし自身の歩むべき道に迷っていた。
 そんな時、万平の携帯電話の受信音が鳴った。発信元の表示は『丸谷涼美』となっている。丸谷涼美は学部時代からの万平の知人である。

「もしもし、万平くん? 涼美ですぅ。 万平くんに一つお願い事が有ってね、優しい万平くんならきっと引き受けてくれるんじゃないかなぁ、って思って電話してみたんだけど・・。 今ね、黒根川の藍柿沢右俣で採取した岩石サンプルがあたしの手元にあるんだけど、その石片がちょっと奇妙なので、そのサンプルの成分分析、お願いできないかなぁ?」

笹木万平は椅子の背もたれから身を起すと、携帯電話の持ち手を左手から右手に持ち替えた・・・・。

「その奇妙な岩石サンプルって、どんな石のことなの?」

突然の話に幾分か戸惑いぎみでもある笹木万平に向かって、スピーカーの奥からは丸谷涼美の声が続いてくる。

「それがね、ちょっと・・・・色が変なのよねぇ」

「  “色が変” ・・って。 もしかして、それは、金色っぽいとか・・??」
万平の眼光がキラリと閃いた。

「それがねぇ、奇妙なことに、白みがかっててね、ちょっと見、セメントっぽい色の石なんだなぁ」

「セメントォ色??」

黄金色の石の輝く模様が拡がりつつあった万平の脳裏に落胆の色がはしる。

「それがね、万平君、ちょっと聞いてよ。この石ね、藍柿沢でバリエーションルートを開拓してたら見つけたのよね。 誰も来る筈の無い処でよ。 藍柿沢の石の色って大体が青っぽい色だけど、それがこの石、セメントっぽい色なのよね。これって、ちょっとぉ奇妙だと思わない???」



丸谷涼美の『奇妙だ、奇妙だ』と連発して強調する言葉の響きに引きずられて万平は涼美と会うこととなり、その日の夕刻には涼美が万平の研究室にやって来た。万平のもとに現れた涼美は白い綿のタンクトップシャツにダメージで毛羽立ったデニム地のショートパンツのいでたちで、小麦色に日焼けした肩にはブルーの小さなカリマー製のザックを掛けており、そのカリマーザックの中から紙袋に包まれた二つの岩石サンプルを取り出すと、涼美はそれらを万平の机の上に並べ

「こちらが、藍柿沢で普通に見かける藍石。そして、これが、バリエーションルート開拓中に私の見つけた奇妙な岩石サンプル」

と双方の石をそれぞれ指さした。

「涼美んの、その腕や指の甲、かなり日焼けしてるなぁ」

万平の視線は差し出された小石よりも、むしろ涼美の日焼けした腕や手の甲に向けられていた。

「藍柿沢右俣にバリエーションルート開拓しながら “滝行・日光浴” もしてるのよね」

「滝行??」

「ユロナヴィールスに打ち勝つ免疫力を育んでるって言うか・・・・、まぁ、修行ね。万平くんも研究室に篭ってばかりいると、免疫力、低下しちゃって、ユロナヴィールスに感染し易くなるぅんじゃない?」

丸谷涼美は万平の腕に自分の腕を押し付けて並べると、藍柿沢で日焼けした肌を顕示するのだった。

「ビタミンDを体内で製造しておかないと免疫力は低下しちゃうんだって。万平くんの体内ビタミンDって、足りてる? 日光浴してる?」

 笹木万平は即座にサンプル石の成分分析する事を丸谷涼美に確約した。万平が分析完了した暁には、涼美が藍柿沢右俣を案内するので、万平も右俣で滝壺水浴や日光浴をしてみないかと涼美が誘ったからである。

 3日後・・・。翌火曜日。
 採取したサンプル分析からは炭酸カルシュウム石灰石や水硬性セメントの成分類が多量に検出されたり、トバモライト構造も認められるという報告が涼美に万平から伝えられた。水硬性セメントの成分などが多量に検出されているということから、岩石サンプルは人工的な手が加えられている物ではないかとの推測を万平は示唆した。万平のこの突然に湧いて出て来たような努力によって迅速なる分析作業がなされると、涼美は約束通りに万平と藍柿沢右俣に土曜日の朝から入渓する事になった。その土曜日の天候は安定していると予想され、谷の遡行には最適であると判断されたからである。

 万平は地質学を専門としており、自然界を歩き回ることには慣れている。初歩的な登攀技量も一応は身に付けているようで、谷の遡行用具を新たに準備するような事も無く、土曜日の早朝には、学者タイプの万平と体育会系アスリートタイプの涼美という凸凹コンビが藍柿沢右俣の出合で結成された。右俣に入ればルートに精通する涼美が隊長、万平はそれに追随する隊員といった関係になるのは当然であった。

 沢身に入ると、ルートをよく知る隊長が先頭を行く。隊員の万平は沢ルートについては全く知らないので、隊長の尻を見ながら忠実にその後を追う。隊長は遡行経験が豊かで、登攀を何度も繰り返し行なっているので、後部太腿から臀部にかけての筋肉群は見事に発達を遂げ、腰の直下の肉置きのバランスはまるでアフリカ系短距離陸上選手であるかのようである。二番手を行く隊員にとっては、その見事に発達をとげた短距離陸上選手のような臀部を一日中視界の中央に置いての遡行となっていく。万平は依頼されたサンプルの分析を素早く行なったことが正解であったと感じた。そのお陰で今は藍柿沢に入り、暑い街の熱風から退避することが出来ているうえ、晴れて調査隊員となれている万平は、今日のこの良き日に隊長の見事に発達した腰臀部も眺められている事がこの夏の幸運であるかのように思えた。
 隊長は大滝高巻きルート上で採取された奇怪な白色石が出現した現場を地質学研究者に早く見てもらいたいとの一心から、勝手知ったる馴染みの右俣ルートを大滝目指して素早く進んで行く。その後ろ姿はファッションショーの舞台を腰をくねりながら歩くモデルのようでさえあった。
 早朝の夏の陽差しが東方より青い谷肌とエメラルド色の淵底を照らし、谷底へと時折吹き込んで来る風が額からの汗を取り去ってくれる。脚元は常に沢水に洗われ、汗ばむ程に火照った身体の熱量さえも濡れた脚元より水流の渦の中へと溶け込み、沢水に冷やされた血流が体内の隅々まで巡り渡ると、汗もすっかり自身の役目を失い、もはや登高に何らの不快苦痛も伴わない快適な沢歩きが続いて行くのであった。

 絶え間のない飛沫を白く巻き上げる壮麗なナメ滝を幾つ越えたのであろうか。とうとう隊員の万平と隊長の涼美の眼前に大滝が現れた。右岸には隊長たちが開拓した秘密の高巻きルートにフィックスドロープが隠されている。そのロープにカラビナと共にプルージック(巻き付け結び)を施せば不慣れな万平隊員でさえも安全に登攀できる。ビレーピンの打ち込まれた3本クラックがはしる岩塊を越えた隊長と隊員は、問題のサンプル石を涼美が採取し、涼美たちが名付けた “白岩壁” という現場に到着した。

「確かに、この白岩壁は奇妙で、直感的にだけれど人工的な臭いがする」

隊員の万平は白岩壁を手袋を外した素手で丹念に触りながら壁の周辺部をも嗅ぎ回った。

「・・だとするならば、誰が、何の為に、こんな所に壁を造ったというの?」

隊長にとって自分たちが開発した秘密の初登新ルート上に人工物が現れるなどと言う事は、どうしても納得できないのである。初登ルートと思っていたルートが初登ではなかった時、クライマーの心は打ちひしがれてしまうのだ。

「ボクはここに来たのも今日が初めてだし、そもそも、この右俣自体に入るのも初めて。もちろん右俣の歴史などは全く知らないよ。唯、この壁全体を眺めた感じからするとね、もしこれが人工物だとしても、この自然風化状態から見ると、それは相当な昔に造られたんじゃないかという気がするなぁ。それに、これを見てよ。細かい苔がしっかりと壁の表面で成長して馴染んでいるじゃない?」

万平隊員が擦るように撫で回す白岩壁の表面には花模様を形成するように微細な苔が張り付いている。涼美隊長と万平隊員はアンザイレンを続けたまま、ルートを更に先へと前進させ、白岩壁の脇からゴルジュ帯の凹角を抜けきると、大滝本流の滝上に立ってみた。

     (注 : ①ゴルジュとは左右両側を岩壁で挟まれて
        細い通過路になっている廊下状の凹角地形のこと。
                     ②アンザイレンとは登攀者が互いにロープで身体を連結させて        いる状態のこと。)


「もし、この白岩壁が無ければ、本流自体は大滝方向への滝筋を取らずに白岩壁の源流方向へと流れ、その筋こそが右俣の本流になるのでは??」

それは滝の上から眺めた地質学者ならではの見立てであった。

「つまり、地形的に見れば、ここは谷の略奪点になり得る場所、とも言える訳ね」

隊長は珍しそうに水の流れと右岸を見つめながら溜息をついた。

 “略奪点” とは山岳用語であって、一つの或る谷の水流が途中で低い尾根を越えて(破壊して)隣接する谷へと流れ込むポイントのことを言う。通常、ほとんどの谷筋は上空から眺めると “Yの字型” に下流で合流を行ない更に大きな谷や川となっていくが、このYの字型が上下逆さまになった形で沢筋が形成されて、水流の一方が隣の谷筋に流れ込むような特殊な形状も稀には存在しているのである。

 「ねぇ、万平くん。谷の略奪点に石灰石のような岩壁・・・これって、絶対的謎 だよねぇ。地形学の絶対的謎 だよねぇ。地質学の絶対的謎 だよねぇ?」

 隊長の口調は万平隊員の学者魂を挑発するかのようになっていく。自ら開拓した秘密のルート途上に突然として何者かが残した痕跡らしき気配が漂ってきている。ルート開拓者に突如として現れる敗北感。痕跡を残した先人が本当に居るのであるとするならば、それが誰なのか。これらの疑問に万平隊員なら答えを導き出せるのでは? 隊長の涼美はその様な気がしてくるのであった。



 右俣から涼美と万平の二人が帰還して数日経ってからのことである。万平隊員から涼美隊長に連絡が入って、直ぐに会いたいと言う。その晩、さっそく涼美隊長は大学の一角にある万平隊員の研究室を訪ねることにした。
 万平隊員は涼美隊長に会うなり、

 「これを見てよ!」

と研究室の机の上に2枚の地図をいきなり広げた。

「この右のモノは、1919年に印刷された地図をコピーしてきたもので、左のが今の地図。そして、ここの地点が、藍柿沢の右俣・・」

 万平隊員が両方の地図上で或る一角を指差してみせる。

「この部分。谷が曲がって描かれている所。ここが丁度右俣の大滝の位置になる所だけど。どう? こちら1919年の地図では、沢筋はあの白岩壁の方向が本流として描かれている・・。こちら、今の地図では本流は大滝を経由して流れているように描かれている。1919年の地図に間違いが無いのであれば、昔は、あの略奪地点で沢筋の本流は白岩壁方向だった、ってことだよ」

 万平隊員の地図を説明する声には、抑え気味ではあるものの、上気した興奮の色が滲み、少年が手柄を自慢する時のように早口となっていく。

「この点を踏まえた上で、ボクの推論では、1919年以降のいつかの時点で水流は白岩壁を抜けて流れ難くなった・・。そして行き場を失った水が大滝方向に向けて流れ込むようになった。そういう事じゃないかなぁ」

涼美隊長は万平隊員の推論を聴きながら、土砂に埋まって水路が変形してしまった災害などの光景を思い浮かべた。

 「万平くんのこの発見によると、沢筋は1919年以降に変わってしまった、ということなのね。1919年とゆう昔の地図なので大雑把に描かれていたり、精密な測量も不十分だったかもしれないけど・・、あたし、万平くんの説を信じるわ。だって、白岩壁の処に石灰石らしき物体が集中してるのって自体が何かスッごく不自然だし、あたしたち・・、その実物を目撃してしまってるものね。これって、ちょっとした大発見よね」

 涼美隊長は地図を指し示す万平隊員の手の上に自身の日焼けした掌を重ね合わせた。

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