「決断力を強くするのに必要なのはポジティブな動機からではない」精霊から抜粋

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人々は大勢の人の群れの中で生きている。人に会うたびに選択をしている。
どこに目線を合わせるか、どこに話の焦点を合わせるか、いつ話をめとめて切り上げるか。

それに疲れた者たちがいる。疲れた者たちがだれなのかプロデューサーの目や体感を通して、私の個性というフィルターを通して見えた者たちがいる。

それが、自閉症と呼ばれる者たちであり、ADHDと呼ばれる者たちであった。

彼らは直感で動いている。思考では動かない。思考を効かせようものなら内側からうずくのだ。「選択の答えは頭に無し、胸の内にあり」という声が絶えずささやき続ける。

彼らはしばしば、人に見られることを忘れている。他者との会話中、話の話題を選択するときに内側の自分と話して解決する。

これゆえ。話している最中の顔が「怖い」と言われがちであり、人から嫌煙される理由でもある。

これを読み合わせる多くの皆さんは、決断力を語ってほしいといわれた私が自閉症の話を持ち出しているのか困惑しているものもいるだろう。

決断力を鈍らせているのはなにかということを私は今日のこの機会に提言したいからだ。


素早い決断を鈍らせるのは、「正しさを求めてしまう癖」である。


正しい?間違い?いいや、違う。初めからあなたの心に、良いも悪いものない。決断力を早めたいのなら、あなたはここに存在している。

ただこれだけから始めればいい。


そうしたのなら、限りなく悔いの少ない選択を決断する習慣はつくだろう。さらに、素早く決断を繰り返すことができるだろう。

すべての価値観は全部「過去の人々」が築いたものだ。良いか悪いかの判断が出てきた時点で、すべては過去に生まれた人々の思想に操られる。この操り方は経済の裏側を支配する。

イギリスの貴族・スペインの貴族・バチカンの地下にある宗教・イスラエル王が過去に造りだしたタルパ(ソロモンの使悪魔)を利用して権力を維持する「何か」が、人々の思考を支配するために使われている。

ADHDという症状は、もちろん脳的な大きな障害によって起きる者もいる。

しかし、脳的な改善が見らえる程度なのに親・地域環境・宗教からの「成功か失敗か」の判断教育で悪化してしまうことがプロデューサーの体感を通して、肉体がない我々が共有できた素晴らしい体感共感の情報であった。

プロデューサーは気づいているし、ほかの者たちもいくらか気づいているが、認知症のような、幻覚が見える激しいうつ病のような、ADHDのような常に周りの目線を気にせず自問自答してしまう強い癖があるもの。

彼らのほとんどの幼少環境は「理由は知らなくていい。これが正しいんだ。これが間違いなんだ」と言われ続けた教育から成しえてしまった症状である場合が多い。

特に認知症では、介護施設で働いた経験のある者たちは気づいており、攻撃的な認知症発生率が高いのは「家柄が良いといわれる血族家系」「教師や警官など指導する側の公務員」「上記に関連した家族を持つ者」である。

特に攻撃的であったり指導する側の公務員であったり、その妻である者たちは認知症のたぐいが激しい。

彼らはプロデューサーが施設に働いているときによくこんなことを言った。

「何を選んだらいいかわからない、わからない、わからない・・・」

そしてプロデューサーたちが決断してあげると

「こんなのはおかしい、あんたのせいだ、あんたのせい・・・」

たぶん、これを読んでいる大勢の皆さんはこんな風に生きたいとは思わないと思うだろうし、そうならないための自己改革を進めたいと考えているだろう。


ここで私の個性から提言しよう。攻撃的な精神症になる可能性が最も低くなる簡単な方法がある。

それこそが「正しい間違いの世界を視ない」という習慣である。

この習慣こそが、決断力を持ったまま生き続けられる可能性が現段階で最も高い。

プロデューサーが普段している独特の考えを例えよう。彼女は攻撃的な認知症を見ても「人間として正しい存在」「人間としてまちがいの存在」という判断でものでも見ない。

まして、一部のスピリチュアラーが提言する「攻撃的な認知症を見せるのは自分の学びのため」とも考えたりはしていない。

学ぶもの、学びたいものは自分で選ぶことができる環境こそが決断力を最も冴えさせる。

決断力が欲しい、さらに高めたいとして読んでいるひとがいることを予見してここで提言する。


あなたはどうにでもなれる存在だ。「今の私があんな風になれない」ということはありえない。「今の私がこんな風になるなんて間違い」ということはありえない。あなたはどうにでもなってしまう存在だ。

他者から美しく見てほしいと願う人がいるとしたら、見た目をある程度、社会の美的センスに合わせて変えるだけで、他者から本能的な第三の目を通して、物理的よりも強烈に鮮麗にして美しく見えてしまうものに注目してほしい。

それこそが、あなたの社会がどんなに変わろうとも美しい価値観であり個性である。

決断力を早めるために、さらに悔いの少ない選択を続けるために、あなたは「これが正しい」「これが間違い」の選択基準を一度脇に置いておく習慣を選択のたびに思い出すことを提案する。

いつでも消えてしまう理性。いつでも振り回されてしまいそうな本能。

必死に自問自答し、焦る日々。決断力を鈍らせるのはいつのときも「これ以上失敗しないように」である。

理性を大切に保ちながら、他者と共に本能をうまく生命力にできるように生き続ける。

今ある己の命を認める。

これこそが肉体と魂を合わせ持つ不器用で面倒な生き方をあえて選んで生まれた面白き人生の始まりである。


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