解き放たれていくもの

記事
コラム
おはようございます。


昨日、里子にいくかな?と表現していた植物たちを
お友達が会いに来てくれるついでにと全部
持って行ってくれました。
本当ありがとう。


委ねる中でも
考えの中では、全部とは思ってなくて
まだまだ、一つ一つとの思い出からの想いから手放しきれず
執着しているサラさんがいたようでした。


しかし、一気に去っていきました。
ぎゅ~~~~って胸が痛みます。


その中で、あるがままの植物に
思いをくっつけて見ていたことにも
はっっとし、それらの想いは
湧きつつも消えていきました。


植物は植物で
何もくっついていなくて
想いが物語を作りあげてる。


”あのときあの人がくれたなあ・・・”

”毎年そばで咲いてくれたなあ”

”ここまで育ててきたのになあ・・・・”


それは今湧いているだけで
今あるのはただ今の様子の植物。


同じように日常でも
言葉を発した、思いうかべたとたんに
いまここにない自分の物語世界ははじまりますね。


ほんとは、いまここに映る様子があるだけなのですが・・・


この生命活動の様子というのか


”これからの未来はこうなるかな”


は今、湧いてるだけで、ない。


”あのときこうしておけばよかった”


は今、湧いてるだけで、ない。


”あの人こう思ってるかな?”


は今、湧いてるだけで、いない。


これも無いや・・・
湧いてるだけだ・・・・


と少しずつ解けていく。


ご縁ある方の中には
感情も湧いてるもので
内容関係なく、湧いているということ自体
凄いいのちの活動で
ネガティブもポジティブも
どっちも湧かせてあげてよかったんだって
気付かれる人が最近増えてる気がしています。


体の痛みも
痛みが間違いなく現れてる。
いのちの活動・・・


痛みもネガティブも
わるものではなかった。


少しずつ少しずつ
作られてきた自己、アイデンティティーから
解き放たれていいく・・・
そんな風に感じています。



















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