素の花

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コラム
おはようございます。


思いや考えとはうらはらに様々な景色が移ろい変わっていきますね。


そんな中で素でいられる・・・
それだけでもう幸せだなって感じています。


こども、母親、女性、嫁、上司、部下、友人、娘、生徒・・・・
などなど、この社会では様々な役割があるけれど
それぞれの役割の顔が無意識に作られていて
その役割としてはまっている様子が
素晴らしいと言われがち、思われるような中
育てられてきた気がしています。


それからの自由が少しずつ許可された中でも
サラさんのように聖人だったり
情報からの知識が次の無意識の役割のような
目指す形が生まれたり・・・


心地よく、自由に、楽しく
というのも一つの偏り、目指すものになりかねないですね。


心地よくても、よくなくても
自由であっても、なくても
楽しくても、楽しくなくても
どっちでもいいのです。


その自然に生まれる様子も素


過ごす中で
”こんなことしちゃった”
”こんなこと感じてしまった・・・・”


などなど、ダメ出しが入る部分
その様子も 素 だと感じています。


社会や、概念の素晴らしさにはまらない部分。
(時にははまっているところもあるけれど)


素で存在していると
本当無駄な動きがなくなっているように感じるのでした。
体のために食べる、寝る、排泄する・・・
シンプルにその繰り返し。


そこに、その素の性質に起きてくる
動きがあるならそれが起きてくる。
表現の質で色合いでもあるように感じるのでした。


それで充分。
とてもシンプル。


力みなく緩んでいて、寛いでいる。
心身も緩んでくるように・・・


素の色は作ろうとするものではなく
後付けで感じられるもの。


素の花があちらこちらで咲きはじめているように感じます。







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