おはようございます。
聖人病って上手な表現してくださる方いました。
まさにサラさんもそうだったです~。
ご縁いただく方だけあって
よく似た性質の方がとても多い気がします。
見て聴いて読んで、素晴らしいと感じてきた
聖人像で在ろうと無意識にしてしまうのですね・・・・
あまりにも日常になりすぎてなかなか気づけなかったり。
そう在れない様子が出てきたとき
うっっというような自己否定が走ります。
”聖人とは”という見えない基準が
ど~んと頭の中にあるのですね。
様々なものが炙り出される流れの今のように感じていますし
見たくなかった、感情
様子、反応がでてきて揺さぶられてる方も
多いかもしれません。
エゴはダメだという基準があれば
そう名前つけられるような
状態を否定しますし・・・
エゴとなずけられるものも
実体のない思考ですし・・・
エゴさんいいじゃない。
人間身があっていいじゃない^^
聖人的じゃない側面も
優劣のない
この自分というもののあっていい側面です。
うひひ・・・というような
想いが湧いてくることもあるかもしれません。
傷つけてしまうような
想いもでてくることもあるでしょう。
湧いたものは
バラエティー豊かな
いのちの表現、側面なのですね。
聖人病かも?と感じられる人は
そうでない様子も
これからたくさん出てくるかもしれませんが
それもあっていい。
これを相手は炙りだして、教えてくれてるとも表現できる気がしています。
『あるよ。見て』とでもいうように・・・・
人間的な部分も、聖人的な部分も
どちらもあっていい。
偏る必要もないし、
今の このその様子に間違いなんてなく
とっても尊い存在なのですね。