繋がりの中の孤独

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コラム
おはようございます。


今日はいいお天気^^
洗濯ものが太陽と風に当たってゆらゆらしてます。
気持ちいい。


ひとつのいのちの表現の現れとして
みんなそれぞれの場で存在されてる。


ひとつのいのちなんだなあという感覚に
開かれつつある方とのご縁が
この現れには多い気もしています。


そこに開かれていくとき、
人間的な普通、当たり前な思いを
揺さぶられて振り落とされるような
現象が起きることがほんと多い。


サラさんの目の前にも
普通は喜ばしいことだろう。
参加するべきだろう。
それに対して、そう思えない現象が起きてきたりと・・・


相手の思いに答えないといけないということはない。
喜ばしいといわれることには
参加するべきだということはない。


思いに応えずに傷つけてしまう。
みんな出席するところに出ないという孤立感。
そのようなその瞬間湧き上がるものと
しばらく一緒にいました。


不思議だけど、
そのエネルギーが抜けると
どっちでもいいよね。
そう知識ではない体感覚が現れてきます。


拘りが抜けるのですね。


お金がないとやっていけない。
仕事しないとお金が入らない。
そのような集合的観念を
振り落とされる方も周りにはいます。


この思いがなくなれば
本当気楽に存在できることでしょう。


でも、そのエネルギーが抜き取られるとき
相当な苦しみが現れてくるように感じています。


以前お話した老子さんの言葉が目についたので
シェアしますね。


内からも外からも、何がどうあろうとも
そのことに対して、善いとか悪いとかといって手をつけずに
そのまま捨てておく。
ただそれだけです。
それをやりますと、だんだん、あっても気にかからんようになる。
気にかからんようになると、穏やかになって
ただ、事柄のみがあるようになる。


事柄のみがあるというのは
いまここの様子のみがはっきりするということのように
感じています。
善いとか悪いとかいう思いに囚われていない・・・


だいたいが善い悪いというイメージ思いの中に
入り込み、同一化してしまっていますね。
頭の中ではどうにもできませんでした。
いまここに顕れている
どのようなエネルギー心地も、あるがまま顕しめることで
根本が抜けていき
気にならなくなっていくという体感が
サラさんにはありました。


ものの真相を本当に見るためには
人間的な認識というものから一度きれいさっぱり離れて
はじめて認識自体が、自分の手の下しようのない世界を
再び認識することができるんです。


この人間的な認識から離れるということも
コントロールできるものでもなく
(すべてだけど)
揺さぶりが起きて、離れさせられるような
現象が起きてくる。
都合の悪さやどうしようもない苦しさ。


自分の手の下しようのない世界というのが
いのちそのまんまのことのように
感じているのでした。


このような現象に向き合われる方は
とても孤独だったりもします。
独りぼっちのように感じるけど
同じような体験されておられる方は
あそこやここにいます。
それを思い出せることだけでも
少し勇気が生まれるかな?と感じたのでした。

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