愛の人

記事
コラム
おはようございます。


朝キッチンに立って、
その綺麗さにいつもながらじ~んとします。
トイレもお風呂もいつもピカピカ・・・
有難いなとしみじみです。
掃除苦手なサラさんと、掃除が自然にできる人との
組み合わせのひとときから
本当、無理なくバランスとれるということって
こんなことなんだなあと体験させていただけたことに感謝。


『素敵な女性とはこうだ』
『愛ある人はこうだ』


そういう情報や知識から
無意識にそうなろうと力んでいたんだなあと
今になると感じます。


いのちの働きというのは
人間の知識や都合を超えた上にありますし、
私たちがあり得ないと感じるような
湧きあがりや動きが顕れてきても
自然だったりします。


でもその動き、状態に対して
握りしめている知識や情報があると
その基準でないものを、変えようとしたり
蓋をしようとしたりしてしまいます。


これは素敵じゃない、愛ではない・・・といったように


親や子に対する情の薄さにも
サラさんはどこかそこに罪の意識を感じて
深い自分であらねばというように
無意識に頑張っていたことにも
気付かされることがありました。


その隠されていたものが
顕わになり
それがあっていいものだというように
安堵感の中に溶かされていきました。


どのような状態も
それが顕れたのであれば
それもあっていいいのちの側面


喜びと同じように
あっていいものなのですね。


そのそれぞれの器を通して備わってるというか
細胞一つ一つの性質のような
質はそれぞれにあるように感じています。


それは、人間によって作られた情報と
一致するとは限らなくて・・・


え?!こんなこと感じるのですか?
湧きあがるのですか?


それがその情報の基準から外れていても
醜いと考えるものだとしても
それが本心として顕れる
あなたというあるがままの質で表現。


そことというか、それと一致して存在すること
できることが
外に現れるものに関係なく
静かな安らぎと幸せ感というような
感覚がここに広がる、浸透する。


愛ある人はこうだとも
定義づけできないですね。


その瞬間、どのようなものが
命からか現れるかわかりませんし、
それと一致して存在してる様子が
それに近いのかな?と・・・


愛ある人の”ある”もなんだか
重さが生まれます。


為ろうとする力みのない
ただただ在る様子。
愛の様子・・・







サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す