いのちの音

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コラム
おはようございます。


起きた時、胸のあたりに重みがありました。
ただただ重さを感じます。
これが今の様子でいのちの声でもあるからです。
でも声だからと意味を考えようとするのではなく
ただただ、そこにあるエネルギーを感じるだけ・・・
重さという音というのか。
あっていいもので
今あるものなのですね。


するとす~っと溶けていくのも感じ
なぜだかうるっとするような
感覚が現れてくることが多いです。


以前なら、この様子をだめなものとし
逃げようとしたり
気持ちよくしてくれる何かを探したかもしれません。


この現れに名前も付けられていますが
いのちは本来分かれていないし、
名前もなく・・・


そこを感じていると
様々な名前あるところから生まれた
制限やルールのようなものが浮き彫りになってきます。


一見良いことのように思える
こうすればこうなるだったり、
これからはこうすることが素晴らしいこと・・・
そのようなことも
ルールの1つに知らず知らずなっていることに
気付かれることも、しばしばです。


それらのルールを超え
いのちの声はこの瞬間に現れています。
今までどれだけ無駄な動きをしていたのか・・・ということも
思い知らされることもあることでしょう。


人や物との出合いもシンプルに変化してくるかもしれません。


そう多く、ここから動きは起きないからです。
隙間ができると
その隙間や、そこから生まれる
孤独感みたいなものから
逃げたくて動くという反応で
生きてきたきもします。


その隙間がいのちです。


名前も付けられるもので
様々なそのときの様子に名前を付けられることもあることでしょう。
~障害というような名前を伝えられたと聴くことがありましたが
病名などもその一つですね。


その時の様子をそう名付けられただけで
いのちにはなんの影響も与えられていません。
その名前は思い出されたときに
影響を与えるかもしれませんが
ないもの。


もしかしたらそう名付けられる症状は
ずっと真面目に何か別のものになろうなろうと
頑張り続けているということを教えてくれてるのかもしれないなと
感じました。


いのちの声を無視し続けることで
ストレスが生まれたり、
心身の不調という形で気づかせてくれることもしばしばです。
それもまた声ですね。


今あるこの様子を味わうことで
詰まりがあるのであれば
す~っと溶けていくことでしょう。


いのちの様子はその時その時変化し続けています。
その変化を味わっているということは
変わらない静かないのちで
私たちはいつも在るということなのですよね。







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