志しはなんですか?

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コラム
おはようございます。


お料理は好きではないけれど
”これ食べたいな~”っと
湧きあがるものを作ってるとき
食べているとき、
いのちからのクリエイティブなエネルギーを感じます。


焼き魚と豚汁と炊き込みご飯というシンプルなものなのですが^^;
いのちが求めていたようです。


創造的に生きることって難しく考えがちだけど
いつも いまここの日常の中に
その人の目の前にその機会は与えられてるのですよね。


特別な何かに向かう必要はなく
ささやかなこの日常の中に
恵みはいつもある。
それが見えなくなっているだけなのかもしれません。


ここに現れてる様子が
いのち、全体が味わいたいこと・・・


その様子を素直に感じられるかどうか・・・
サラさんの場合も
プライドのような殻が
それを見えなくしていたということがたくさんあったし、
まだきっとあることでしょう。


それは探そうとしなくても
いまこの瞬間に現れる。


辛いな、醜いなと感じるような様子
その葛藤も
いのちが味わいたいこと。


それが許可されたとき
いのち、全体が自然に姿を顕わしてくる・・・


見てもらう、感じてもらえるのを
待っていたかのように・・・


志しはなんですか?


そんな風に聞かれることがありました。


志しという意味を改めて調べてみると
”心の向かうところ、心の目指すところ”
と表現されていました。


ないです。
そのような答えが起きていました。
(後から、ないですと答えていたけど、それほんとなのか?という思考がふわっと湧き上がりました)


そうだな・・・
あるのだとしたら
ないものに向かうということではなく
いのちの目を養うこと。


いのちを生きるということかなと
感じたのでした。


必要なことは必ず、ここに現れてるのだから・・・
それを味わっていくことだけかなと感じるのでした。












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