こんばんは。
お電話の中で、生きてる・・・そんないのちを
感じさせていただけることが続きました。
昨日お話した方も
そのままあるがまま出てくるままに表現できるって
清々しいですね~ってシェアしてくださってました。
上司に、”生きるのが辛くなることや、あなたの表現で
こんな苦しくなりました”
なんて泣きながら表現が起きたのだとか・・・
今までは、”こんなこと伝えたらこう思われるだろうな”
というような頭の解釈挟み
抑えて抑えて過ごされていたことにも
(だいたいがそのように生きてますよね)
改めて気がつかれたのだとか・・・・
不思議に世界というのか現れてくるものたちが
優しくなったとお話してくださっていました。
あるがまま表現したから、優しくなるかどうかは
わからないけれど、
それがいのちの調和でもあるような気がしました。
どのような現れ方がするのかはわからないけれど・・・
湧き出てくるものも
起きたことも
そのまんま受け入れられてるというか
そのままと一緒が苦しみが生まれないところ。
どうしても、私たちは偏りの中で生きてきています。
偏りのない真ん中。
十字の真ん中・・・
そこがあるがままな、寛ぎの場所。
活き活きするのがいいことだと握りしめてると
そうでないとき、苦しみが生まれてきます。
逆を味わってあげることで
バランスとれるのかもしれない。
真ん中に戻れるように感じたのでした。
体が不調なら良くなってほしいと感じるのが自然だけど、
逆に、体が不調のままでもいいじゃない。
そう感じてみる。
その痛みのような感覚を感じる(受け入れてあげる)
すると、真ん中に戻れるような
少し怖さのようなものが和らぐ心地味わえるかもしれません。
活き活きできなくてもいいじゃない。
やる気でなくてもいいじゃない。
不調のままでもいいじゃない。
好きなことできてなくてもいいじゃない。
心地よくなくてもいいじゃない。
特別でなくてもいいじゃない。
認められなくてもいいじゃない。
みじめでもいいじゃない。
かわいそうに思われてもいいじゃない・・・
こんな感じで、望んでることや自分の都合の
反対を良しとしてあげるというか
良しとできなくても
そうなった時の状態を感じてあげる。
すると不思議と緩むような感覚を感じられるかもしれません。
相方さんからも、許しゲームを楽しんでるのかもね!なんて
表現が起きてました。
いまここのあるがままに
無意識に抵抗が起きて苦しくなりますものね。
なってほしくないこと。
そうなったら嫌だと感じるその状態を
そうなるとは限らないけれど
許してあげられると
少し楽が生まれるかもしれません。