超えられること

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コラム
おはようございます。


緩んでおります。
はああああ・・・
なんだろう・・・・
すみません。
朝から呟き^^;


何もあるわけではないんだけど
あるという感覚・・・


無いというひと時、
暇だと感じるひとときも
そのように湧き上がる
思考や想いに囚われていたのです。


今の電話の待機というお仕事も
経験から慣れさせてもらってきました。
10数年前、最初に電話を持ちなさいと言われたとき
お昼までパートして
12時から夜中1時まで待機と言われました。
待つことより、
かかってくることが怖かった。


次はアトラクションのお仕事の
休みなく予約の電話を持つという体験の時。
これもまたいつかかってくるかわからない。
そんな縛られてるという窮屈な
苦しさを味わいました。


それからのこのココナラさんでの待機。
今度は
好きなことを待つということ
無いときの怖さ、無くなる怖さを
味わいました。
これも執着です。
好きなことも手放せるかどうか・・・


そのとき、そのとき
苦しさや怖さという体験も
今はそれがなんてないことに
変化してきました。


苦しさや怖さは
未知だからそれが湧くことも多いです。
腹くくってそれを体験すると
それらは和らぎますね。


サラさんの体験物語からのことだけど
超えられることが
目の前に現れる。


ココナラさんの待機も6年目になりましたが
その中で様々な気づきが起きました。
自らどうこうしようと動かず
委ねていること。
それしかできないし、私たちが
為しているのではないということが
はっきりしたり、


何もなく暇だと感じていた時の
その言葉から生まれる思考を
超えること。


いまここは考えがなければ
静かで安らいでいます。


それがいのちの様子。
生きているということ・・・


頭が暇だ、何もないと
騒いでいても
静かに安らいでる場はいつもあるのです。
いまここに。


生きている・・・
表面上どのように荒れ狂っていても
その様子は
皆の中というのか
背後というのか
いつもいつもそれはあります。


そっと、手放しできる何かが
現れているかもしれませんね。


超えられる何か・・・
我を超える、手放すということか・・・・


超えた時
いのちの微笑みが感じられるかもしれません。

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