楽でいるには

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コラム
おはようございます。


こんな風に表現することも
いのちに還る機会として使わせてもらっているようにも
感じます。
やっぱり、慣れ親しんだ感覚にすぐに溶け込んでしまうので・・・


相方さんとお話することでも
戻れたりするので有難いです。
彼も電話のお仕事ですが、
”自分の世界に悪を生み出すのは自分自身。
その価値観や判断が無くなれば
それは無くなる。”
そんな風に、日々、見える世界に向き合ってるそうです。


表現の仕方は違えど、同じところを
感じて存在してるのだなあと感じることが多いですね。


起きた結果の世界ではなく
起きる前のそれらの根源・・・


そこに寛いでいると
平和なのです。


気楽でいるには
”私がしている”のではなく
すべてが為されてるということを
知っていくことだなあと感じています。


為されているということは
後悔も、不安もなくなる(和らぐ)ということで・・・


間違いだと人が捉えられるということは
決してできないということ。


そのようなこと通りこしたところの
動き・・・


そこに寛いでいると、
間違いだ!
おかしい!
と騒ぎだす、思考の方を手放さばいいんだって
ポイっとできるようになります。


病気も”悪いものだ”という判断が
苦しめたりしますね。
体調悪いときそう感じました。
良いも悪いもなく、全体の動きの中で
間違いなく、この痛みは起きてること・・・


そう感じると
騒ぐ思考が緩み
す~っと不思議と楽が生まれるのですよね。


痛みは残るけれど
静かな安らぎの上にそれは起きてるというような・・・
そんな感じ。


昨日は娘がシェアしてくれた音楽に
感動の涙がでましたが
そのような表現も
その人が特別だからできるということではなく
そのような全体の表現の一つとして
現れてるのですね。


皆同じ・・・


様々な表現が、ここあそこで現れてる。


この感覚で今日も寛いでいたいな・・・
たまに巻き込まれつつも^^














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