おはようございます。
居心地の良いひとときを過ごしています^^
理想や想いは関係ないところの動きの上にいるのですね。
それと一致することもあるけれど、
一致しなくても
間違っているわけではないのですね。
私たち個人のなんたるや関係なく
全体は表現し続けてる。
その理解が自然に起きてくるようです。
昨日は去年の腎盂炎に似た現象が起きて
ヒヤッとしたり
車を段差のあるところに落としてしまい
動けなくなるということがありました。
幸いにも近くに車屋さんがあって
”助けて下さい~”と駆け込み
救っていただきました。
そのときのいのちの役が
ここに現れてきてるのだなあと・・・
以前ならこんな”悪いこと”起きるのは
何か自分がいけないからなのではないかと
不安になっていたように思います。
悪いと思うような体の現象も
”こうしたから”というような単純なものではなく
様々な縁が起きてこの現象が起きてる。
ただ起きてること
悪いか良いかは本当はわからない
そこには意味づけする何も本当はないのですね。
良いこともただ起きた。
バランスの中でそれらは起きてる。
良い悪いの判断超えたところで・・・
言葉の意味付けから、その人の世界のストーリーは始まり
今から離れ想像の世界へ入っていくということが起きていました。
その間にも、目の前の今は変化し続けていたのです。
幸せや安らぎは現象の中にあるのではなく
在り方だったのですね。
何が起きても、変わらない安らぎはここに
ど~んと在る。
素直に拘ってるものをさらりと手放して
ここにある安らぎを味わっていたいものです。