体感の深まり

記事
コラム
おはようございます*^^*


実家にきています。
3姉妹と姪っ子甥っ子が集まります。


毎年、”大勢は苦手”という観念があり避けてきていたところがあったかもですね。
でもなんだか最近変化を感じていて・・・
そういう中でもいることに疲れを感じることが少なくなりました。


”大勢は疲れる”
というのが溶けてきたのでしょう。


大騒ぎが起きるならそれがあるがまま


そして、お手伝いしなきゃというよりも
自然とこの体が、その場の必要な動きとして
動いていくままに委ねられてる気がします。


様々な思考や、感情も湧き上がりますが、
その衝動からというところから動くということも
少なくなり
その衝動さえも
湧いては消えていくものの中の一つというように
ただ在り続けるという感覚。


家族といても
様々な反応が湧いては消えていきます。
それをそのままに
過ぎ去るままに・・・


この私の場合、
先に、人の言葉や、体験から答えを教えられ
それを体感していくということのようですが、
それを一つ一つ追って
なるほどなという気づきが起きてくる。


”サラさんはいないよ”

”所有しているものなど何一つない”

”天の手となり足となれますか?”

という表現。

”自分というもののない中で
力強いこの動きだけがあって
そこにあやふやに思考や想いが
ふわりふわりと浮いていた。”

”時間の無い中で、ただここがはっきり現れているだけ”

という体験。

これらもまたすべて記憶として
いまここに現れているものだけど、


この言葉や体験が
体感としていまここに深まっているように感じてるこの頃です。










サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す