万事が益となり働く

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コラム
おはようございます*^^*


なんだか久しぶり・・・でもないかな^^
今は実家です。
以前はなぜ居心地悪かったのだろう・・・
そう感じるほど、居心地がいいです。


なぜなんだろう・・・
ここに抵抗が起きなくなっていることや
抵抗が起きてきても
それを放っておけるから。
それも一つだと感じています。


同時に目の前の人が何を表現していても
それもここに現れている
命の表現の一つ・・・
そんな風にふと感じられることが
増えてきていることも
一つかなと。
目の前の人というよりも
命がそのような形で現れているというように・・・


私の体と、外側と境界線があるというように感じられていたところから
ここに境目なく全てが広がっている。
ここに様々な表現として
ひとつが現れてきている。
そのように感じています。


起きたことに対して
認識が起きて、あれやこれやと抵抗していたことも
起きたことは間違いなく起きたこと・・・
ある意味その諦めの中で
起きてくることを
眺めているように思います。
なので抵抗が少ないのですね。


最近 
”万事が益となり働く”

こんな表現を目にしました。


何も意味もない中で
脈々と全体の動きとして命は表現し続けている。
細胞たちが
自然に反応して
バランスの中で働き続けているように・・・


最近も
この私が意図やどうこうしようとしていないのに
動きが起きてくることや
開かれていくことを感じます。
逆にこうしたいと思ってもそのように
結果は起きてきていないことも多いし。


なるようになるしかない。
結局ね(^_-)-☆


起きたことは
どうしようもなく起きたこと。


認識する私は
あれやこれやと判断するけれど
その隙なく起きてきます。


”絶望を経験するために生きてる”
そんな表現も目にしました。
人としての絶望、諦めが
この自然な感覚を思い出せるきかっかけ・・・


もう希望持たなくてもいいという安らぎ。


感覚的で言葉を追うと
抵抗が起きるかもしれません。
以前はきっとそうだった。


抵抗しようと、喜ぼうと
脈々と事は起き続けています。









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