全体で在りながら個を生きる

全体で在りながら個を生きる

記事
コラム
おはようございます*^^*

今朝娘から、北海道行ってきます♪っていうラインで目が覚めました。

突然、行きたいと湧いてきたみたいなんです。

最近、友人と熱海に旅行に行くことになっていたようだけど、
コロナ関係の原因で当日キャンセルになり全額戻ってこないという
体験があったみたいでした。

どんな意味があるのだろうと彼女はもやもやしていました。

そして、今回の北海道。

お金もいるし、なぜ行きたいのかもわからないし、
一人だし、どうしよう・・・って連絡が来ていましたが、
きっと、彼女にとって、またさらに全体との繋がりを感じる機会。

結局知床に今日は旅たちました。

目の前に現れてくるものは
全体性を教えてくれている。

良い悪いという判断をしてる自分や、意味づけをしようとしている
自分に・・・

何があっても大丈夫なんだ。
そう娘はまたさらに安心を深めることでしょう。

(書いている途中に娘から、写真と共に感動の表現が届きました。
東京から北海道の飛行機の中で
”今までもただ流れの中で委ねて流れてきただけだったんだなあ・・・”
そう気づいたみたいです。
豊かな体験良かったね*^^*)

例えば、旅行先でのお天気だって、自分の都合は晴れは良い、雨は悪いという
意味づけをすることが多いかもだけど、

それはそのように現れているだけで、全体から見れば
ただそれを味わいそれに気づいてる。

そこに何故・・・・ということは私たちにはわからないこと。

この間、ご縁頂いてる方が

ずっと胃の痛みが続いてるということでした。

その方も全体を感じたいと思われている方で
何故、このような痛みが出るのだろう・・・

何か気づかないといけないことがあるのだろうか。
そんな中で長い間もやもやされていたみたいでした。

全体ならどう捉えるだろう、何を気づくだろうと
無意識に探求する自分と、痛みに抵抗する自分が
いたことに気づかれたようでした。

判断しようとしてる私の塊が大きくなっているようでした。

あるとき・・・

”痛みはなぜかわからないけれど、今必要で現れているだけだったんだ。
”
そう腑に落ちられた時に、この上ない安心に包まれたとご連絡くださいました。

ふっと晴れ間の全体に触れられたんだな・・・そう感じました。

そして不思議だけれど、痛みは消えたと・・・

そうなのですよね・・・

痛みは悪いものということはなく、ただ”痛い”が現れているだけ・・・

痛みへの抵抗がさらなる痛みを生んでいるということもあるのかもしれません。

痛みも、私たちが喜びと感じるものと変わりのない
全体からの表現なんですね。

嬉しいとき、嬉しいと共に在るように
痛いときも、痛いと共に在ればいいのだと感じるのでした。

何が現れても、そこに判断する何かが無くなっていく・・・

全体で在りながら、個の自分を生きていくこと。

そんな命が増えていくのだろうなと、娘やご縁頂く方を見せていただいて
感じるのでした。









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