おはようございます☆
なんだか今朝も何か湧いてきています。
有難さの中で・・・・
”本質で生きることは手放ししてジャンプすることに似てる”
そんな風に今朝ひとことに表現したけれど、
”自分が全てしてる”
その生き方に慣れてきているので、
考えることをやめてしまうと、
自分に都合悪く物事が運んでしまうかもしれないという
恐れが湧いてくることが多いのかもしれません。
私たちが存在していることも、その動きも
私たちの都合とは本当は関係なしなのです。
時に一致することがあれば、うまくいったと喜び
一致しないと、悲しむ。
動きの上でそのように、私たちは奮闘してきたのだと感じています。
かわいらしくも感じるというのか・・・
全体の動きがバランスをとりながら、
私たちが介入できないところで先に起きていて
私たちは後で、その動きをキャッチしている。
なので、実はお任せするしかない。
ご縁なんかも、自分の都合ではどうにもならない。
出合いや別れも自然とその動きは起きるのですが
その上の私たちはどうしても翻弄してしまいますよね。
苦しみはその現れてくる動きへの抵抗から起きてきます。
その動きの上に、固定概念や概念があれば
さらに苦しくなりますよね。
私たちの考えてもわからない動きの上に存在してるので
様々な概念や観念を超えて
その動きに寄り添えられれば、それが一番の楽で
本質そのものなのだと感じます。
何も考えずに湧いてくるままに動けばいい。
失敗も正解もないのだから。
それがそのような動きなのです。
自分の望んでるような結果が訪れるかわからないけれど、
でも、それがいつもいつもベストなのだと
解ると、恐れからときめきに変化してきますね*^^*
そのようなことが
”手放ししてジャンプ”
なのだと感じているのでした。
このサラさんも様々な概念にがちがちに囚われていました。
離婚という形の経験
はじめての一人暮らし
ツインレイという概念の手放し
豊かさを得る方法も不安定な中で
島で共に過ごしたいですねと伝えてくださる命が現れてきていますが
それもこの私にはどうなるのかはわかりません。
このように命の動きの上で様々な概念や観念からの物語が生み出されてる。
命の動きには何の概念も関係していない。
ただただ脈々とした生命の動きの表現
解らない中で、今の豊かさを味わいたいなあって感じるのでした。
命の動きへの信頼の中で・・・