小説作例4 全文掲載

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ぜひ、ゆっくり読んでいただければと思います。


 あるいはこれを、絵に描いたような幸福と呼ぶのだろうか。
 総士はテーブルに残ったケーキセットのプレートを下げながら、横目でちらりとカウンターの奥を見遣った。以前ならば死角となり、決して見ることの叶わなかった角度。自分の目で見えるそこには、親友と、その幼馴染みともいえる少女が目と目で会話し、小さく笑い合っていた。
 楽園と冠したこの喫茶店において、客はきっとカウンターの向こう側の光景を見て皆同じような顔をするのだろう。この島の守り神であり、乗る者の命を蝕んでいくファフナーという兵器。カウンターの向こう側にいる二人は、そのファフナーに乗って戦った子どもだ。生き延び、きちんと日常に笑みを浮かべられる強さをもった二人だ。客席からカウンターの奥を見る者は、目を細め、勝ち取った平和をゆっくりと受け入れるに違いない。
 楽園は通りに面した部分が透かしの入った大きな硝子張りになっており、太陽の光を存分に取り込める造りになっている。そしてその窓からは、午後特有の白い日差しが入り込んでいる。その柔らかな日差しのなかで、総士にとって大切な二人が小さく笑い合っているのだ。平和であり、まさに〝絵になる〟光景だった。
「どうしたの、皆城くん。さっきからぼうっとして」
 こちらの思考の隙間にするりと入り込んでくる甘く柔らかな声。真矢がカウンターからちょっと身を乗り出して総士を見ていた。
「お皿、そんなに重い?」
「まさか。そんなわけがないだろう」
 彼女の洞察力をもってすれば、皿を持てずに総士が止まっていたのではないのだとすぐに分かるはずだ。あえて外した質問をされたことに、むず痒い気持ちが生まれる。彼女にその気はないのだとしても、甘やかされていると思ってしまうのだ。
「ひょっとして、疲れてるのか? 研究のあとここに来たんだろ?」
「それもない。僕の方から手伝うと言ったんだ。余裕がなければそんな提案もしないさ」
 心配そうに声をかけてきた一騎に、軽く頭を振って否定してやる。
 総士はこの店の従業員ではなく、ただのお節介で手伝いを申し出れば、本業の二人の邪魔をしかねない。だが今日はいつもアルバイトとして入っている西尾暉もおらず、店長であるはずの溝口は朝からアルヴィスに出向しており、店を一騎と真矢の二人で回さねばならない状態だった。昼食にと顔を出した総士も、その状態を見て二人の邪魔にならない範囲での手伝いを申し出たのだ。
「いつもの考え事だ。気にするな」
 そう告げれば、二人はそれ以上なにも言ってこない。二人がちょっと困ったように言葉を飲み込む気配を感じて、わざとそういう言い方を選んだ一方で申し訳なさも感じていた。
 総士の天才症候群――並列思考のため、時々本人の自覚なしに体の方がおいてけぼりになるということがあった。時折総士がそうしてぽつんと体をおいていくつもの思考を走らせてしまうことを、近しい人々はよく知っていた。こどものときは、「総士はたまにすごくぼうっとするときがある」と友達に言われ、世界の真理が暴かれたあとは「天才症候群故のもの」だと。
 一騎も真矢も、総士のそうした気質を幼い頃から見知っている。幼い頃は「またぼうっとしてる」と笑われたそれも、事情が明らかになった今は「そっか」と納得されて終わりだ。その納得のなかに、躊躇いと苦さのようなものがほんの少しだけ入っていることに総士は気づいていた。
 二人のいる調理場と、総士のいる客席の間には、カウンターという物理的な隔たりが存在する。十四歳のあの日まで、総士が他者との間に置いていた隔たりにも似ていた。線引きし、その中にいるものが自分にとっての〝皆〟だと思い、自分はその中には決して入れないのだと思っていたものだ。
 今総士が見ているカウンターの向こう側の景色は、かつて自分が守り続けてきた〝皆〟の光景に似ている。ただ、似ているだけだ。同じものではない。これよりもっと似ているものがあったはずだ。
 真矢が総士の様子を気にかけている。〝こう〟なった総士が、平生の心と体がきちんと結び付いた状態に戻るのは、その時々によってまちまちだ。彼女が、考え事をしているときに邪魔するのは悪いし、と声を掛けてこないことをいいことに、総士は目の前の光景と既視感を結びつけようとする。
――ああ、そうだ、本だ。自分がその中に入り込むことはできない物語を読んだあとに似ている。
 うまく目の前の光景と自分の感覚を結びつけられたところで、知らず知らずほうと吐息が漏れた。
「皆城くん、それ下げたらあたしたちも休憩しよ。今日は一騎くんが試作で作ったカシスのゼリーがあるんだよ」
 タイミングを見計らったかのように、真矢が言った。彼女の声により、総士の思考と体が結びつけられるのではなくふわりと纏められたような気がする。
「遠見のリクエストなんだ。お腹にたまるもの以外にもこういうデザートはどうかって」
「さっき冷蔵庫に入ってるのちょっと見たけど、紫陽花みたいなきれいな色だったよ」
「紫陽花か。俺は作ってるとき、総士の目の色みたいだなって思ったけど」
「えー? 皆城くんの目の色はもうちょっと青い色だよ」
「……よくそんな風に人の目の色まで覚えているな」
 話題に上がっているのは自分の瞳の話だというのに、当の本人が一番ぴんときていない。一応の身だしなみとして、毎朝鏡を見ているが、いざ自分の目の色を言い表そうと思ってもなかなか思い出せないものだというのに。
 二人はきょとんと目を丸くし、顔を見合わせ、まるで鏡合わせのように反対側にこてんと首を倒した。
「そうかな。普通だと思うけど……」
「総士の目の色って覚えやすいし……」
 納得できるようなできないような、そんな理由を二つ並べられてしまった。総士と一騎と真矢は全員異なる感性を持っているのだし、それぞれの言い分に全て共感できるわけがない。
「これを下げるだけでいいんだな? ならすぐに終わる。その紫色のゼリーとやらを用意しておいてくれ」
「紫色って、皆城くん、紫陽花の色だってば」
「あと総士の目の色」
「……どっちでもいい。コーヒーは僕が淹れても? 遠見は紅茶の方がいいだろうか」
「ううん、あたしもコーヒーがいいな」
 総士がカウンターの流し場に入るのと入れ替わるようにして、真矢が客席側に出ていく。その手に握られているのはチョークだ。店先のボードを書き換えに行くのだろう。
「それだけの皿なら、ゼリー食べたやつと一緒に洗うから置いといてくれ。とりあえず水に浸けておいてくれればいいから」
「分かった」
 作戦行動中は自分が命令する立場だというのに、一歩カウンターの中に入ればその立場が逆転する。
「なにがおかしいんだ?」
「色々と、だ」
 立場があっさりと逆転してしまったのはもちろんだが、あれほど物理的な隔たりとして感じられたカウンターの中にあっさりと入った自分がおかしかった。カウンターの向こう側は物語だというのは思い込みだったのだろうか。客席から見たカウンターの中の自分の姿が、どういった風に見えるのか、知りたいようで知りたくない。無人の客席が今は有り難かった。
「表のボード、直してきたよ」
「ありがとう、遠見」
 総士の後ろでぱたんと冷蔵庫の扉が締まる音がした。一騎が手にした銀の盆の上には、三人分のゼリーが載っていた。透明な器とその中身が、陽光を受けてきらきらと輝いている。
「……赤紫だろう、その色は」
 総士がそう指摘すると、カウンターを挟んで顔を見合わせた一騎と真矢が小さく吹き出した。

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