小説作例3 全文掲載

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ぜひ、ゆっくり読んでいただければと思います。

「買い物に行くわよ、付き合いなさい、大助」
 突然部屋にやってきた居候先の少女は、すでに出かける準備万端だった。分かってはいたけれど、こちらの都合お構いなしに予定を組み立ててしまっていた。
 大助は満面の笑みを浮かべる少女に対して、嘆息一つ。こちらがどれだけ強い拒絶を見せても、結局彼女の言うとおりにこちらが折れてしまうのだ。
 着替えや身支度のために少女を一旦部屋の外に追い出す。どこに出かけるかを聞いていなかった。場所によってはドレスコードがあるところにつれて行かれる可能性もある。
「出かけるって、どこに」
「AB電機。ほら、駅の目の前にあるじゃない」
 部屋の前で待っているのだろう。廊下と部屋を区切るのは薄い障子一枚だから、彼女の声はよく聞こえた。
 行き先は全国展開の家電量販店。あの一之黒亜梨子が、家電量販店?
 財布の所持金が若干心許ないが、彼女に限ってこちらに奢れなんていってくることはない。というかたぶん、今回も彼女は現金を持ってはいない。大助の財布に出番がくるとしたら、喉が渇いたと言い出す彼女に缶ジュースを奢るときくらいだろう。缶ジュースくらいなら、まあ。大助自身は出掛けるからといって欲しいものもないし、このまま行っても大丈夫だろう。
 障子を開ければ足下に人。危うく蹴りそうになる。
「……何してんだ」
「大助のこと待ってたのよ」
 立ち上がってスカートの皺を伸ばすように、軽く叩く。じゃあ行きましょうか、と告げる亜梨子の足取りは軽かった。
「家電量販店なんて、随分急だな。何か欲しいものでもあるのか?」
「今の家電ってすごくて、混ぜるだけでパンができるそうなの」
「……うん?」
 街に向かう車内。一之黒邸から市街地までは車で少しばかり掛かる。
 一年と少し、一之黒家で大助は世話になっている。当然亜梨子ともそれだけの時間を共にしている。一年と少し――その間、亜梨子が自主的に台所に立つことなど一回も無かった。学校の調理実習でさえ、「失敗しないかしら、おかしなことにならないかしら」と前日からそわそわするくらい、一之黒亜梨子と料理というのは無縁だ。
 そんな彼女の口から、料理っぽい言葉が出てきた。大助でなくても首を傾げる。
「あとみんなが言うには、混ぜて型に入れてオーブンに入れるととろとろのプリンができるって……」
「それが一体どうしたんだよ。おまえ、料理なんかしないだろ」
「だからよ。混ぜるだけで料理ができるなら、私でも何か作れそうじゃない」
 理論としては間違っていない。間違っていないが、なんだろう。この素直に「すごいことに気付いたな」と言ってやれない感じは。
 大助とて家電に詳しい訳ではない。それでも一之黒家にくるまでは一応一人暮らしをしていたから、どれがいくらくらいするか何となく分かる。値段も見ずに真っ黒いカードでお買い物してしまうどこぞのお嬢様よりは、世間を知っているつもりだ。
――普通に料理の本買って作り方勉強して作った方が安上がりじゃないか?
 大助の疑問は至極真っ当だった。亜梨子が何を作りたいかまで知らないが、料理やお菓子づくりのレシピ集なんて大体500円程度で買える。値が張るものでも二千円するかしないかだ。対してそういった便利な家電は相場五万円前後。高機能なものを求めるほどに値段が上がっていく。
「プリンでもパンで買えば済む話だろ、おまえの場合」
 しかも自分で買いに行かずとも、誰かに頼めばいい。だいたいその犠牲になるのは大助なのだが。
 なのにあえて手作りに拘りたいらしい。突然の亜梨子の変化に大助はただただ首を傾げるしかなかった。
「だって、お兄様に……お兄様に食べて欲しくて」
「……何を」
「プリンとか、パンとか。せっかくなら、私が作ったものでお茶してみたいじゃない」
 訳を聞いて納得してしまうのがなぜだか悔しい。亜梨子のいうお兄様とは、血の繋がっていない十ほど上の義兄のことだ。当然大助も面識がある。
 金髪と茶の瞳。明らかに日本人の容姿ではないし、そもそも名前自体がカシュアだ。亜梨子の父が、彼女が生まれる前に養子縁組みしたとかで、年が離れている分普通の兄妹よりも仲睦まじい。
 というか、亜梨子がこの「カシュアお兄様」にべったりなのだ。中学三年生にもなってブラコンかよ、と思いつつ、今は離れて暮らしている大助の実の姉も重度のブラコンなので口には出さない。
 つまり亜梨子は、その最愛のお兄様と楽しいティータイムを過ごしたいが為に、最新家電を買うらしい。努力の方向性と金の使い方を明らかに間違えている。
「これ私が作ったのよ、なんて言ったらお兄様誉めてくれるかしら」
「当代なんかは泣いて喜びそうだけどな」
 亜梨子の父は、養子・実子分け隔てなく溺愛している。特に女の子ということもあってか、亜梨子への愛情はすさまじい。泣いて喜ぶと言ったものの、もし亜梨子の手料理なんて食べたら死因:幸福死とかになるんじゃないだろうか。
「今度の日曜日、お兄様とお父様が久々に家に帰ってくるの。それまでに練習しなくちゃね」
「混ぜて釜に入れるだけのやつに練習も何もないだろ」
「……大助、知ってる? プリンを作るには卵を割らなきゃいけないのよ」
「常識だろ」
「じゃあ聞くけど、あなた、卵割れる……?」
「そりゃ普通に……」
 あ、と思い至った。何せ相手はあの一之黒家のお嬢様だ。家の方針が厳しいとはいえ、料理までは身につけていない。というか台所は入るものではないと言われているらしい。
「割れないのか、卵」
「や、やったことないだけよ! やればできるわ。たぶん……」
 そんな会話をしているうちに車は家電量販店の立体駐車場に吸い込まれていった。
 あれも欲しいこれも欲しい、と量販店の実演販売を見る度に亜梨子は目を輝かせる。このままだと一人暮らしを始められるだけの家電を買い揃えてしまいそうだった。本命のホームベーカリーとオーブンレンジを購入して、配送ではなくお持ち帰りで。買った家電は運転手が車まで運び入れてくれた。
「さて、と」
 一之黒邸・台所。普段ならお手伝いさんが食事の準備をしていたりとなにかと忙しなく働いている場所である。
 今そこに大助と亜梨子しかいないのは、亜梨子が人払いをしたからだ。「手伝いましょうか?」と声を掛けてくれたお手伝いさんにも、「私一人でやってみたいの」なんて告げてしまった。お手伝いの女性たちも、彼女のやる気が微笑ましいようで、「何かあったらすぐ呼んでくださいね」と立ち去ってしまった。
 私一人でやってみたい、と言うなら自分も追い出して欲しかった。ある程度覚悟していたが、このままだと一日亜梨子に拘束されてしまう。
「じゃあ大助、頑張りましょうか」
「一人でやるんじゃなかったのかよ」
「困ったときにどうすればいいのよ」
「お手伝いさん呼べよ。みんな呼んでくださいねって言ってただろ」
「どうせ暇なんだし、いいじゃない。できあがったプリンは真っ先にあなたに食べさせてあげるわ」
 カシュアや涙守よりも先にか。絶対面倒なことになると分かっているのに、急にその申し出が魅力的に思えた。
「……分かったよ」
「さすが大助。そう言ってくれると信じてたわ」
 じゃあ改めて、と二人はオーブンレンジについてきたレシピ集を覗き込む。ホームベーカリーの方はおやつ向きではないだろうと今回は使わないことにした。
 何より亜梨子が、「私プリン作ってみたいわ!」と目を輝かせて言うので、自然とオーブンレンジで作れるプリンにメニューが決定した。
 レシピを見ながら一つずつテーブルの材料を確認していく。プリン型は、出ていく前にお手伝いさんが出しておいてくれた。プリンは切るという行程がないため、包丁を使わない。火を使う部分はオーブンレンジが担当するため、料理初心者の亜梨子でも確かにどうにかなりそうなメニューだった。
「えーと、プリン型にバターを塗ります……」
「カラメルソースは砂糖と水、と」
「だ、大助」
「何だよ」
「鍋を火にかけるって……」
 どうしましょう、なんて言う。煮込むでも何でもなく、ただ単に砂糖水を鍋に入れて温めるだけだ。何をそんなに怖がるのか、大助には全く理解できない。
「焦がさなきゃ大丈夫だよ」
「ちゃんと隣に立って見ててよ? 焦がしたらおいしくないんだから」
「はいはい……」
 ここまで気合いを入れて作るものなのだろうか、プリンって。確か小六の姉ですら作れていたと思うのだが。亜梨子の場合、初めての料理と言うことで肩に力が入りすぎている気がする。
「あとはボウルに卵と砂糖入れて、カップに牛乳入れといて、少しずつ混ぜる、と」
「だ、大助……」
「今度はなんだよ」
「難しそうよね、これ……」
「どこに難しい要素があるのか俺にはさっぱり分からない」
 ろくに調理らしい調理もしないプリンに、なんでこの女は涙目になっているんだ。
 どうやら火を使うというあたりから自信がなくなって来たらしい。買う前の「お兄様に褒めてもらう」は一体どうした。
 こういう風に不安になったり落ち込んだりした亜梨子を、励ましたり支えたりするのがいつの間にか大助の役目になっていた。彼女が大切な家族の前で笑えるようにしなければならない。別に、頼まれてもいないし、仕事だとも言われていない。ただ大助自身がいつの間にか背負っていたことだった。
「ちゃんとカラメルも見ててやるし、カップに流し込むのも俺が手伝ってやる。おまえはとりあえず卵割ることに専念しろ」
「うん……」
 ぽんぽんと大助が亜梨子の頭を撫でても彼女の表情は晴れない。同じことをカシュアがやれば、今にも天に昇りそうだというくらい幸せいっぱいの笑みを浮かべる癖に。
 見張るカラメルソースをわざと苦めに作ってやろうか。そんなことをすれば亜梨子の失敗になってしまう。そうでもしなければこのむかつきも収まらない。
「じゃあ、砂糖計って鍋に水入れるところからな」
「……ええ!」
 亜梨子は鍋片手にぎゅうと手を握り締めた。
 大助の中で、カラメルソースの味はまだ決まっていない。


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