知らない事と教育と過剰摂取

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コラム
前回は、コロナ禍を例に挙げて、

人間が出来る事は《地球環境の改善》と《自分という環境》に真剣に取り組む事です。

とお伝えしました。

今回は、知らない事と教育と過剰摂取ということについて、
私の経験を挙げてみますね。

私が小学生の頃の話です。

家族でドライブ中、私が窓からゴミを山中に捨てた所
母に「コラ!」と怒鳴られ、

「人がいない時に捨てなさい」と言われました。

はははは。。。

この話を、笑い話のつもりで、私の主人に言った所、

   無表情で無言。

私はめちゃ恥ずかしく情けなかった。。。という過去の経験があります^ ^

この私の情けなさと恥の感情のお陰で
[教育]と[知らない]という事について気付かされたのでした。 


現在の私は、時々、海でプラスチックを拾います。

私は、ゴミ拾いは好きに近いし、海が大好きだし魚は美味しく食べたいので。
浜にある人工の物の色と、自然の物の色の違和感も気になる。
この海は世界の国に繋がっている。という思いで拾います。

あまり人がいない海でも、初めて拾う時は、人目が気になりましたが、何となくモヤモヤした思いが晴れるんです。

こんな、小さな行動でも、
自分の違和感に気づき、自分の本当の思いを大切にすれば

《自分という環境》が整っていくんだなと体感しています。


このように、私は、自分という環境を整える為に

《地球環境の改善》を意識していますが、

これって、ほとんどの人も、自分が整う有効な方法では?と感じます。

なぜかと言うと
<自分の本能を満たせるから>です。

ゴミをポイ捨てして、その時はスッキリしたとしても、
罪悪感が皆無な人は少ないと思うから。


とは言え、、、ど、、、

地球環境の改善と壮大なことを言われても、
人間は生きているだけで、環境への悪影響は時代と共に大きくなっています。

便利な生活をスッパリやめる事や環境問題を深く知ることは、私は出来てない。

自分も加担している環境への悪化が、人間を含む全ての生き物に影響しても、
それなりに順応していくように変化するのが、生物の進化かも知れません。

なので、私も不安対策が過剰とも言えますが^ ^

自分の違和感と向き合ったり、様々な経験から得た結果、
地球環境を改善する事は人間の本能を満たせる事だと私は思います。


ちょっと考えてみて下さい。

放射性物質が流れる海でプラスチックを食べた魚や、農薬まみれの穀物を食べ続けたり、PM2.5が含まれた空気を吸い続けるのって、

自分の体を大切に出来てないとも言えますよね。

プラスチックの漂う海に、違和感を感じない人や、農薬やPM2.5が、人間を含めた生態系に与える影響が気にならない人は少ない。

この違和感の積み重ねが、心にも影響していると、あなたは思いませんか?


これらの問題は[過剰摂取]の結果です。


過剰。つまり余っている。


過剰摂取状態になるのは、自分にも思い当たりますが、

[依存]は[過剰摂取]をうながし、
余ったものを、上手く回せないシステムは建設的ではなく、

自然に循環する力を持つ生態系や、自分の心や体のバランスを自分で取れる力を信用していない状態で、
私達は、まだ分からない将来の不安対策に依存している。

私達を含めた生き物は、
自分の環境や世界の環境のバランスも取れる力を持っているのに、
あるものをないものにし、余っている力を感じ取れず活かせないないのは、

何だか非常にもったいない。

ですよね。


現代社会は、経済を成長させるため、
人間は必死になり豊かな社会に成長しましたが、
経済や化学に依存していると、バランスが崩れます。

その依存心、景観の破壊・公害問題で、心と体に影響している人。
異常気象で被害を受けたり、国さえ消滅しそうな人もいます。

現在の地球環境が、私達に〈緊急に影響を与えない〉と思う方は多いでしょうが
〈緊急ではないが重要な〉環境破壊の問題への見ないフリは、確実に自分や次世代にも影響します。


この問題に、種の保存の本能に導かれている私達の体が、違和感という反応を示しているのでは?

自分という環境を整える為に、
違和感を感じたら、違和感の消えたスッキリとした感覚になる答えがでるまで、自問をしてあなたが出来そうな行動に繋げましょう。

あなたのやりたいあなたのやり方で、
知らない事知を知ろうとし、過剰摂取に気付き、地球環境と自分という環境の改善への行動へトライを繰り返してみませんか?
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