カンボジアの地雷と不発弾

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 かつてクメール・ルージュによる鎖国の時代とその後の内戦時代に地雷を埋めまくっていました。
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 そしてまた、その前のベトナム戦争時代にはベトナム軍がカンボジア国内を通ってアメリカ軍を攻撃することをカンボジアが容認していたために、アメリカはカンボジアの将軍にクーデターを起こさせて掌握した後、その傀儡政権と合意の上でカンボジアに空爆をしまくったので、その時の不発弾も未だに多く残っています。
 そうです、このアメリカの行為がその後のカンボジアのすべての戦乱の始まりだったわけです。

 当時のカンボジアへの空爆を示す資料がありました、空爆は8年間に1965年から1973年にかけて、その総重量は第2次世界大戦中に連合国が投下した総量を上回るということです。
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 加えて人口を上回ると言われる地雷が埋められたことで、戦争が終結したあとも不発弾や地雷の被害は絶えずに、今もその被害は少ないながらも続いています。
 地雷というのは、かつて兵隊を配置するとかかる世話や経費もいらなくて便利なものなので安易に活用されてきましたが、どこにどれだけ埋めたかというデータも戦闘中に失われることも多く、また、金属製のものは探知も楽ですがプラスチック製のものに入れ替わってきた段階で探知もままならない厄介な異物に成り果てているわけです。

 地雷はともかく、不発弾の処理については、第二次大戦で爆弾落とされまくってた日本の処理技術は世界一なので、今ここカンボジアでもそれが非常に役立っているわけです。 
 戦争がなければ必要ない技術なんですが、そうして同じ痛みを受けた日本が今困っている人たちを助けてくれてる、その点については日本政府のことも評価し誇りに思ってもいいのかな。

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