不登校

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不登校

今回の内容は不登校について書いていきます。

カウンセリングをしていると、よく話に出てくるのが「子どもが学校に行かなくて困っている」といった相談です。
学校に行っていない本人からの相談は比較的少ないように感じます。
私がそのような相談を受けた時は必ず、まず本人と直接話をし、「カウンセリングを受けたいと考えているかどうか」の意思の確認をしています。
なぜそのような確認をするかと言えば、親子関係での問題が不登校に影響している場合があるからです。
人には無意識といった自分でもよくわからない領域が存在しています。
つまり子どもも何故「学校に行かない」のか明確な理由もわからずにアクション(行動)を起こしている場合もあるのです。

そのような場合が存在するのに親としては子どもを心配してのことだとは思いますが、「子どもが学校に行かなくて困っています」といった相談。
もちろん子供も「できれば学校に行きたい」と考えているケースがほとんどでしょうし、きっと「学校に行かない」ことはかなりの覚悟であり、自己決断だったのではないでしょうか。
ですから、そのような質問を受けた時私は必ず、
「相談に来るべき人は本当に困っている人が来てください。」
と言うようにしています。
こういったことをいう意味としては、子どもも確かに困っているのでしょうが、子どもは「学校に行きたくない」といったことで、もう既にアクションを起こしているのです。
このアクションにどう応えていくかを子どもは待っているのです。
それなのに、子どもを何とか学校に行かせたいという気持ちから「催眠術で学校へ行きたくさせることができますか?」といった質問を受けることがあります。
せっかくの覚悟を決めたアクションなのに その答えが、「催眠術で学校へ行きたくなること」が答えでは何のために覚悟を決めたのかと私は思います。

子どもは無意識に、
「自分が困ったとき、誰がどんな対応をしてくれるのか」
といったことを試しているのではないかと私は考えます。
つまり「守って欲しい」という気持ちや「一緒になって考えて欲しい」といった気持ちを全く無視し、「催眠術で学校へ行きたくなること」が答えならばあなたはどう感じるでしょうか。
子どもの意志を全く無視し、自分(親)が考えている方向へ無理矢理変えることしか考えることができない親をあなたは信用できますか。

子どもであっても一人ひとりに人生があります。「子どもが学校へ行きたくない」理由を探しにカウンセリングを希望であれば喜んで受けます。
しかし、人の人生を無理矢理変えようとする依頼を私は受けません。
困っている人は一体誰なのかをもう一度意識し直してみることをお勧めします。


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