こんにちは。
身体と心を整えれば、人生が整う。
ハリハラ(張り肚)呼吸法とセルフ整体を提供させて頂いている、救急救迷士、すみびとです。
この度、始めてのサービスを出品させて頂いたので、そのご案内となります。
サービスタイトル
何事にもめげない折れない心、しなやかさが身に付きます
キャッチコピー
心身一如/呼吸で心身を整えると、肚が整い、人生も整う
サービス内容
そもそも、何故、呼吸のことを〝吐〟吸と言わずに〝呼〟吸と言うのでしょう。 単に空気を吐いて吸うのであれば、〝吐〟吸と言えばいいのであって、〝呼〟吸と言うのはおかしいと思いませんか?
生きてくために酸素を取り入れるのに、生命維持の目的として、もちろん呼吸は必要です。
ただ、横隔膜と胸郭の筋肉の収縮・弛緩によって行われる呼吸という機能は、文句も言わずに無意識で勝手にはたらいてくれるし(不随意運動)、自身の意志である程度はコントロールして行うこともできます(随意運動)。
心臓や胃腸などは、自分の意志ではどうすることもできません。
結論から述べますと、呼吸は単なる生命維持機能のほかに、遠い昔、人間が備えていた直感などの本来の自分を〝呼〟び覚ますための手段として、〝呼〟吸があると思うのです。 (あくまで私の仮説です)
だからこそ、呼吸は自分の意志でコントロールできる機能も持ち合わせていると思うのです。
現在の私たちは、他の野生動物のように古代の人間が本来持っていた、猛獣や地震などの天災を察知する能力や、それらに遭遇した場合の、的確な判断力といった直感が衰えてしまっているように思います。
大昔なら、一瞬の躊躇や迷い、悩んでいることが、死に直結していたのが、現代では、科学や文明の発達で、そこまで必要なくても、なんだかんだ生きていけるからです。
よく、「あの人は腹(肚)が据わっている」とか「腹を括る」、あるいは「肝が太い」とか「肝っ玉母さん」って言いますよね。 日本人は本来、脳で考えたり、判断したりするというよりは、腹(肚)で感じている生き方をしていたと思います。
そして、この肚こそが図太い本来の自分を取り戻すキーポイントと言えます。
武道や坐禅でいうところの丹田っていうところです。
じゃあ、そもそも、なんで私が呼吸や肚といったものに興味を持ったかというと、幼少期の性格が関係しています。
私は、幼い頃から泣き虫で気が小さく、すぐにクヨクヨする心配性の男の子でした。
引っ込み思案で、体も細く、いじめられては泣いてばかりの毎日。
家族からも、ことあるごとに、
「男の子なんに気が小さくてどうするの?」
「もっと神経を図太くしないとだめやよ」
と言われる始末…。
自分でもそのことは痛いほどわかっているだけに、身内から言われると、なおショックでした。
中学生になってからは、いじめはおさまったものの、 心配性の性格は相変わらずで、何とか変えたい、でもどうしたらよいのか分からないまま、手始めにカウンセリングや、自己啓発といった本を読みあさりました。
読み終えた時点では、なんだか生まれ変わった気がして、よし変わるぞ、思っていても、3日もしないうちに元通り。
高校生になってもそんな感じの生活が続き、大学受験失敗や、就職はできたものの、すぐにニートになったりと、挫折を味わって、ますます落ち込む日々が続きました。
どうにか再就職してからは、さらに自己変貌願望が高まり、瞑想やアファメーション、コーチングやカウンセリングなど、いろんなメンタルに関する方法をいろいろ試しました。
が、結果はイマイチ。
そのうち、神社仏閣巡りやお祓いや祈祷に御守り、開運グッズやスピリチュアル系のいわゆるちょっとあやしい系にハマった時期もありました。
結局、何をやっても自分が変われたという実感がないまま、出費ばかりがかさんでしまい、気持ちが滅入ってしまうばかり。
そんなとき、「これならなりたい自分に変われるかも。」と藁にもすがる思いで学び、身に付けたのが、本来の自分(肚)を呼び覚ます弱者の為の呼吸法になります。
私には、この方法が一番しっくり来ました。
多少の効果の差はあるかと思いますが、少なくとも、今よりは何事にクヨクヨしない、くさらない。ステキ。無敵。サイコー。なマインドが身につくと思います。
ご検討、よろしくお願いいたします。