お礼参りはされましたか?

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「お礼参り」をするまでが祈願

祈願をして、その願いが成就したら、まずはその幸せをしっかりと味わってくださいね。
そして必ず忘れないでほしいのが、祈願をしたお寺神社へお礼参りに行くことです。
ご神仏とのおつき合いは尊敬する目上の人に接するのと同じです。
もし職場の上司や先輩などに何か用事をお願いして、相手があなたのために動いてくださったとします。
あなたはお礼も言わず、そのままにしておくでしょうか?
相手は「お礼をしてほしい」とは決して口に出しては言わないでしょう。けれども、あなたがひと言も報告しないままだったら、心の中で「あのお願いは、どうなったのかな?」と、気にかけているかもしれません。いずれにしろ、願いが叶って喜んでいるあなたの姿をお見せすると、ご神仏も喜んでくださいます。
お礼参りをしなかったからといって、ご神仏がバチを当てるとか、願いごとの成就を取り下げてしまうとかは、まずありません(なんらかの形で気づかせようとはするかもしれませんが)。
しかし、もしもお礼をしないままで、その後また新しいお願いに行ったとしたら......。 今度は聞き入れてもらえなくなるのは、ごく普通の人間関係でも当たり前のことですよね。
お礼参りは本堂に上がる正式な参拝でなく、本堂前で手を合わせるだけでも決して不義理ではありません。

「願いが叶わなかった場合でも、お礼参りに行かなくてはなりませんか?」
びっくりするかもしれませんが。結論からお伝えすると、ご神仏に願った以上、あなたの願いごとが叶わないはずはありません。
「親の病気が祈るようにお願いしたのに亡くなってしまった」
「〇〇さんとの結婚を願ったのに別れてしまった」
「商売繁盛を願ったのに、売り上げ不振で結局廃業してしまった」
というような場合でも、自分でイメージしたこととは別の形で叶っているのです。
クライアントのAさんの体験を紹介しましょう。
Aさんのお母さまは、ガンで闘病されていました。
ガンが発見された時はすでに進行していて、手術はできない状態だったそうです。
それでもAさんは、ご縁のあるお寺で一心に快復を祈りました。
けれども、その後お母さまは治ることはなく、やがて家族に看取られて静かに旅立ちました。
Aさんのお母さまのガンは治りませんでしたし、また亡くなってしまったので、多くの人は「Aさんの願いは叶わなかった」と考えると思います。
けれどもAさんは、「これ以上ないくらい私の願いを叶えてくださったとしか思えません」
と言って、不思議なほど小さな幸運が起こったことを話してくれました。
ご実家のいちばん近くにある大学病院が、たまたま在宅での看取りに理解のあるところだったこと。家族全員が覚悟を決めて一丸となって看取りに臨めたこと。緩和ケアで本人の痛みも少なく、穏やかに旅立てたこと。海外に住んでいるAさんの弟さん一家が最期のお別れに間に合ったことなど......。
「本当にこれも不思議なのですが、母が逝った日に、家の庭にある桜がちょうと咲き始めたのです。 お通夜とお葬式の日は満開に近くなって….….。 母はとてもその桜の木を大切にしていたので、あまりにタイミングがぴったりで」
と言いながら、Aさんは涙声になりました。
「母が亡くなったのは今でも悲しいですし、後悔がまったくないと言えばうそになります。でも、あの時点で私たち家族ができる最善の形で見送ることができましたし、母はいちばん母らしいと思える形で病気の苦しみから解放されたんです。だからご神仏は私の願いを聞いてくださったんだなって、心から思えます」
人は切実に生老病死の苦しみから解放されることを願ってきました。けれ
ども私たちは誰でも老いてしまうし、肉体の死だけは絶対に避けられません。
それでも祈願を通じて自分に向き合う時、ご神仏は確かに耳を傾け、願った人にふさわしい答えを授けてくださいます。

よく、おさい銭の金額についても聞かれますが、金額は気持ちで自由
に決めてください。
決まりがない分、いくらにすればよいか悩ましいかもしれませんが、悩むこと自体が気持ちです。 ご神仏はその心を受け取ってくださいます。
ご神仏との関係は密接につながっています。
1人で行動しようとする子どもを、親や学校の先生、近所の大人たちが見守り、陰でサポートするのと同じように、ご神仏はつながり合って私たちを手助けしようとしてくださっているのです。
願いを叶えてくださったご神仏にお礼を伝えることは、ご神仏全体に礼を尽くすことになり、あなた自身の徳を高めることにもなります。
ご神仏に対する礼儀としても、あなた自身のためにも、お礼参りはとても大事なことなのです。
事情があって、すぐにはお礼参りに行けなかったり、遠くて簡単には行けなかったりすることもあると思います。そのあたりはご神仏もわかってくださるので、決して無理をしなくても大丈夫です。
最近はオンライン参拝や郵送などで受けてくださるところもありますので、どうしても行けない場合などは、問い合わせたり調べたりしてみるとよいでしょう。
以前、私もお礼参りをうっかり忘れてしまった経験があります。
あるお寺にごあいさつさせていただいた時に、ふと軽い気持ちであるお願いを添えたことありました。そのお願いはわりとすぐに叶えていただいたのですが、日々を忙しく過ごしていたこともあって、お願いしたこと自体すっかり忘れていたのです。
しかし、なぜか何年も経ったあとにふっと思い出しました。
「あっ、そういえば、あそこのお寺でお願いをしたんだった!」
そこで私はすぐに時間を作ってごあいさつに行きました。 山の上にあるお寺なのですが、頂上に到着するなりご本尊が、
「やっと来たか」
と伝えてきました。といっても怒りの波動はまったくなく、ニヤリと、いたずらっぽく笑った感じです。私の訪問を喜んでくださったのでホッとしました。

どんなに時間が経ったあとでも(ご神仏の時間軸は人間とは違います)、もしふと思い出すことがあったら、それはご神仏からのサインかもしれません。 ぜひ都合をつけてお礼参りに行ってくださいね。
祈願は、お礼参りまでがセットだと考えれば、むやみに全国の神社やお寺でお願いをすることも減るでしょう。
旅行先で歴史ある神社仏閣を巡るのはとても楽しいですし、そもそもご神仏がご縁をくださったからこそ行けるのです。ですから、ぜひごあいさつしていただきたいのですが、行った先々で祈願をするのは考えもの。「これぞ」というお願いは、お礼参りに行くことを念頭に入れて祈願先を決めるようにしてください。
ちなみに、多くの人が祈願ばかりをして感謝をお返ししないので、循環がうまく回らず荒れてしまったお寺も残念ながらあります。
こうした場所に出かけて祈願をし、
「なんだ、せっかく行ったのに願いが叶わなかった。あそこは効かないわよ」
などと言うのは、ご神仏に対してとても失礼なことです。たとえ1人でも、気づいた人からお礼参りを始めてくださいね。


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