言霊シンガーがあなたのお話を聞いて1曲プレゼント♪

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コラム
はじめまして。AKKOです。言霊シンガーをしています。

「言霊シンガー」とは、私のお友達が命名してくれた肩書です。
様々な紆余曲折を経てシンガーになったので、その経験がすべて歌に乗る。その歌が人の心を癒し元気づけ、感動を与える事ができる。そんな意味で名付けてくれました。

ざっくりお話すると、私は波乱万丈な人生を送っています。(現在進行中です汗)

26年前、一つのビジョンが降りてきました。
「自分がジャズシンガーになって歌っている」というビジョンです。まるで目の前で起こっているかのようにありありと、音楽まで聞こえてくるような、リアルなビジョンでした。その時、「ああ、私はジャズシンガーになりたいんだ」と分かりました。

しかし、その後離婚、シングルマザーとして幼い2人の息子を育てるため、堅実な「教員」という仕事を選びました。
その後、出会いに恵まれ、遠距離恋愛の末、意を決して故郷を遠く離れて子連れ再婚し、今度は「農家の嫁」になりました。
でも、自分とはあまりに違う価値観に違和感を感じつつ頑張った挙句、子どもは2人とも不登校、自分は心療内科に通い服薬、事故で大けがをし、寝たきりになる、夫と息子の関係悪化、夫婦仲の悪化など度重なる試練に見舞われます。

幸せになりたかっただけなのに、どうしてこんなことに・・

その時私の頭をよぎったのはずっと心の中から消えなかった「ジャズシンガーになる」という夢でした。
次男が中学生になったのを機に、「ヤマハ大人の音楽教室ボーカル科」に通い始めました。そして、ある日、行きつけのバーのマスターが企画したチャリティライブで初めて人前で歌を披露しました。
その後、アマチュアジャズバンドのボーカリストを経て、ビートルズカバーバンドThe Black Peppersのメインボーカリストとして計10年間、あちこちでライブ活動を行いました。震災復興活動「ビートルズのチカラ」に参加したり、ホテルの宴会場で歌ったり、ジャズの先生についてジャズボーカルを学んだりしながら、少しずつ、いろんなバンドからの依頼で歌うようになっていき、2018年には3バンド掛け持ちで毎週のようにライブをしていた時もありました。

しかし、あくまでも歌は趣味の範囲。一時期本気でプロのジャズシンガーになろうとしたこともありましたが挫折。教員をやりながら、アマチュアとして週末に歌うシンガーでした。楽しく音楽できたらいい。そう思っていました。

そんな中、コロナでライブ活動がストップ。
その頃本格実施されることになった、新しい小学校英語教育を創る「小学校英語専科」という仕事が楽しくて、遅ればせながら50代で教員採用試験に合格。しかし、最初は中学校に赴任。自分の心とは裏腹の、残業と休日出勤に追われる毎日の中、歌う事もままならず、心と体が疲弊していき、「鬱」と診断。それでも服薬しながら頑張り続け、ついに朝起き上がれなくなってしまいました。(「不登校先生」の誕生。経緯はnote「不登校先生ジャズシンガーになる」をご覧ください)

これからどうやって生きていこう・・・。

その時また心の中に蘇ってきたのは、やはり「歌う事」でした。
すると不思議なシンクロが次々と起こり、プロを多く育ててきたボイトレの先生や応援してくれる仲間、素敵なピアニストとの出会いにより、あんなになりたくてもなれなかった「プロのシンガー」になっていました。

そして、今、21年間続けてきた教員という仕事を辞め、ピアノボーカルデュオ、「TA HARMONY(ティアハーモニー)」のボーカリスト「言霊シンガーAKKO」として、どんな曲も耳コピで楽譜を書いて、キラキラでダイナミックに演奏してしまう「アニソンピアニストたけちゃん」と共に、ジャンルを超えて「自分たちが好きな曲・心が震える曲」を演奏しています。

運命的な出会いに導かれ、私をプロのシンガーにしてくれたボイトレのケンゴさんが言ってくれた「ご自分の声が素晴らしいという事をまずは自覚してください。」という言葉を胸に、「素敵なプレゼントを、どうぞ受け取ってください♡」と、そっと手渡すような気持で、これからも歌っていきたいと思います。

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